●オリュンピア競技 オリュンピアきょうぎ
ヨーロッパ ギリシャ共和国 AD
ギリシア四大競技の一つ。ギリシアのペロポンネソス半島北西部のエリス地方にある小さな町ピサの近郊,ゼウスの聖地オリュンピアで四年ごとに開催された。起源は古く,ミュケナイ時代の豊作祈願祭であるとも考えられるが,伝説によればヘラクレスが始めたとも,あるいはペロプスがピサの王オイノマオスとの競技に勝った記念に始めたともいわれている。最初祭りを主催したのはピサの市民であったが,前6世紀はじめごろのピサとエリスの抗争以降,エリスがスパルタの後ろ楯を得て主催することとなった。祭りから次の祭りまでの四年という期間はオリュンピアード(OlYmpiad)と呼ばれて,ギリシア共通の紀年法となった。ただし一般には各ポリス固有の紀年法が用いられていた。競技の勝者のリストが残っているが,それによると第1回の競技は前776年であったらしい。最初期日は1日,種目も徒走1種目であったが,しだいに日数も種目も増えて,前5世紀には5日間に二十数種目が行われた。もっとも第1日目は検査,第3日目(夏至の後の満月の日)はゼウスに対する犠牲式,そして最終日は表彰式が行われたので,競技は実質2日間で済んだことになる。エリス市民から選ばれた審判者に絶対の権利が与えられ,選手は彼らの前で自分が自由なギリシア人であり,いかなる犯罪も涜聖も犯していないことを宣誓する義務があった。彼らは競技のルールを定め,また競技参加者および観客の安全を保障するために“神の休戦”(多分2カ月間であったろう)を宣言することができた。勝者に授けられる野生のオリーブの冠は名誉の印であるが,母国の都市は彼らを英雄として扱い,数々の恩典を与えた。この競技は勝者とその祖国だけでなく,全ギリシア人(もちろん婦人や奴隷はのぞく)にとって大きな意義をもった。精神的・文化的な一体感が涵養されたのであり,芸術家や弁論家には宣伝の場を提供したのである。しかし,ローマのギリシア支配とともに,競技は本来の意義を失い,393年にテオドシウス1世によって廃止されるまで,興味本位のサーカスに堕してしまったのである。