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●織物 おりもの

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 動植物・化学合成繊維を織機で織った物をいう。糸の素材は民族によって異なるが,エジプトでは亞麻と木綿,西アジアでは亞麻と羊毛,インドの木綿,中国の麻・絹・木綿,日本では麻から絹,近世に入って木綿,さらに絹綿交織,明治になって毛織物,昭和に入って化学繊維と変わってきた。織物の組織も多様で,平織り・綾織り・しゅす織りの三つの組織を三原組織というが,さらに捩(もじ)り織を加えて四原組織ともいう。

【歴史】原始人の衣料は獣皮や木の皮だが,やがて糸をつくりこれを織った織物をまとうようになった。縄文晩期の土器にみられる圧痕から,製織がこのころ存在していたことがわかる。弥生時代の遺跡からは,織物の断片や製織用の道具の一部が発掘されている。『魏志倭人伝』にも,麻が植えられ養蚕で糸を紡いだりして,麻絹・綿が生産されていたことが記されている。5世紀には中国・朝鮮から織物技術が渡来人によって伝えられ一層発展した。絹は中国に発生し,前75年にローマのボンベウス将軍が中国から絹を運んだのが最初とされ,以来シルクロードを通じて西ヨーロッパヘ絹織物がもたらされ貴重な衣料とされた。絹の取引きを主とした東西の交易で,西からは,毛織物・麻布・染料などが中国にもたらされ,それらの文物やその影響は日本にも伝わり“正倉院御物”として知られる。日本では律令制と呼ばれる支配体制下で税制の基本として租傭調が定められ,調としてアシギヌ※注1※・麻織物の貢納を命じたり,朝廷に織部司を置いて貴族や僧侶たちの高級衣料として錦や綾など生産したが,平安時代になると民間で織工業が盛んになり,織部司による独占も薄れてきた。鎌倉時代になると石見紬・美濃八丈・越前綿・阿波絹など地方機業地が勃興して相対的に京都の高級織物生産は停滞し,もっぱら有職織物など公家や僧侶の装束用のものが生産され,日常衣料は地方機業や自給織物に支えられていた。日宋貿易日明貿易を通して中国から染料や織物,ことに明からの生糸・絹織物の輸入や,帰朝した僧たちがもたらす法衣などが名物裂として尊重され,織物工芸への関心をたかめた。ヨーロッパでは15世紀ごろから絹織物工業が盛んになるが,日本では絹織物が国民生活の中に広がるようになってきた。応仁の乱後,京都西陣辺に集住していた大舎人は天文のころ(1532〜1554)足利家から保護をうけ,新技術を導入し新製品を織り出すことによって西陣機業の名声を高めた。

 江戸時代中ごろまでの先進的織物生産地は西陣で,染色技術や柄模様のすぐれた表現によって評価を不動のものにした。元禄年間(1688〜1703)に京都の宮崎友禅によって友禅染めが考案されて,華麗な染色によって絹織物はますます盛んになった。しかし江戸時代中ごろから西陣の独占をくずすように地方機業が勃興してきた。桐生・足利・八王子の絹織物,郡内の甲斐絹,真岡の木綿・結城,信州上田の紬,尾張の知多木綿・尾西縞木綿,久留米・伊予・倉吉・村山などの絣など,多様な特産物が,局地内市場にとどまらず,江戸・大坂などの全国的中央市場に流通するにいたった。

 1867年,薩摩藩島津斎彬がイギリスからミュール紡績機を導入するなど,西洋から機械が導入されたが,1872年(明治5)には,京都から派遣されてフランスのリヨンに渡り製織技術を学んだ佐野常七らが,1873年(明治6)にジャカード・バッタン・紋彫器などを日本にもたらした結果,産力は従来の織機の四倍余りになった。毛織物は明治になって本格的に生産されるようになった。1876年(明治9)に,官営千住製絨所が設立され,陸海軍の軍人の軍服や毛布などの製織から始まったが,それ以前は輸入品で,オランダ・中国より舶載した。毛織物生産も民間に普及し,当初はセル地として織られ,洋装化とともに盛んになっていった。

 昭和に入ってレーヨン・ベンベルクなどの化学繊維織物・合繊織物が発明されて,織物の原料は多様化し複雑な組織の織物が生まれるようになった。

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