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●織機 おりき

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 経(たて)糸に緯(よこ)糸を組織させて,織物を織る機械をさして,一般に織機という。もう少し,くわしく織機について述べるならば,織機とは,経糸と緯糸との組み合わせをきちんと行って,初めから意図的・企画的に望んでいるところの組織および経緯における密度(すなわち,単位長さのあいだに,配列されるところの経糸および緯糸の本数)をもった織物を織る機械をいう。織機を,二つに分けると,手織磯および力織機に分けられる。

 そして技術的にいうと,いっせいに経糸と緯糸とを組み合わせることはまことに困難なことであるので,昔から現代にいたるまでのながいあいだの技術的経験から考えてみても,まず一群の糸を,お互いに所定の間隔をおいて一列平行に配列し(これを経糸と呼ぶ),これに対して,ほかの糸を1本ずつ組み合わせていく(これを緯糸とよぶ)という方法がとられている。

 そして,最も原始的な製繊の技術は,いかなる器具をも用いないで,風のないときに地面をひらたくして,そこに経糸を並ベ,これに対して丹念に1本ずつ緯糸を組みこんでいったものと想像される。

 最も原始的であるとともに単純な織機は,〈立て形織機〉と呼べるもので,これはまず地上に2本の棒を立て,これに1本の横木を結びつけた織機である。多くの経糸を横木に結んでたらし,その下端には,小石や骨片を結びつけておもりとし,重力を利用して糸に張力を与えて糸のもつれを予防している織機である。しかし,このような重力を利用する以外の方法でもって,経糸の全部に一定の張力を付与することが可能ならば,水平状態において糸を製織するやり方のほうが,これを操作する点でより便利であるからして,現代の織機の大部分は〈水平形織機〉である。

 これからさらにすすんだ形の織機としては,たとえば今日において使用されている織機のように,経糸が水平に並んでいるのに緯糸を織りこんでいくときは,緯糸を保有している器具はいつでも左右の往復運動を行うが,これは高速回転を実現する上からも,または動力経済上からみても欠陥が存在し,したがって現在の力織機とは動作や構造が根本的に違うところの〈円形織機〉あるいは〈環状織機〉が研究され,筒形に織物を織ることも考えられている。

【手織機】今日においても手織機は,家内工業的に,世界の各地において用いられている。これら手織機の大体は,あらゆる部分が木製のことが多く,ワープビーム(男巻)およびクロスビーム(千巻)のあいだに緯糸は張られ,これらの中間においてオサとヘルドに通される。ヘルドは,上方のろくろあるいは滑車に釣りひもで下げられ,その下方は踏木にひもで結ばれている。これに織工が腰をかけて,交互に左右の足で踏木を踏めば,交互に2枚のヘルドが上下して,そこに通された奇数番目および偶数番目の経糸がかわりばんこに上下して,杼口をつくっていく。シャットルを杼口に通すのには,投げ通すのに手を使うときもあるが,一般的にいうならば,1733年(享保18)に,イギリスのJ.ケーの発明にかかる〈飛杼〉が用いられている。片手を用いて,これは引き綱をゆるめたり引いたりすれば杼口をシャットルが左右に走るという機構であって,これが発明されたため,製織力は職工一人についてじつに4倍に増加し,このため糸の価格がひどく値上りして,またさらに優れた紡績機械の発明を刺激し,これが一つの原因となって,産業革命の引き金になったとさえいわれている。機台の上端に中心軸をもつ“バッタン”のかまちのなかにオサはとりつけられ,前後に片手でゆり動かして,緯打ち運動を行う。つまり,踏木を片足で踏み(開口),飛杼の引き綱を片手でゆるめまたは引き(緯入れ),バッタンを他方の手で手前に打てば(緯打ち),これらの動作によって三主運動は完成され,そしてこれを繰り返して行えば織物は織られる。

 製織線(織前)の位値は,織物が,織りすすむに従ってだんだんと前のほうへすすんでいくので,このような製織動作を適当なところでやめ,クロスビームにできあがった布を巻きとる作業を行う。そして〈あや棒〉は,経糸をさばく役目を有するとともに経糸の序列を明らかにしている。

 このほか〈足踏織機〉もやはり人力で動かすところの織機であるけれども,この足踏織機は,要するに足で踏木を踏むと,製織が必要としているすべての運動が,クランク軸が回転を行うためそれに伴って自動的に行われるのであって,この機械を用いると,製織の主役であった手は解放されるのである。カスリ織物を織るためなどに今日においても足踏織機が使われている。

力織機力織機とは,つまり,動力によって運動する機械をいうのであって,これまでに述べてきたところの手織機に対してこのようにいっている。18世紀半ばごろから,力織機を実現しようという試みは引き続き行われてきたが,ついに1785年(天明5)に実用的な力織機がイギリスのE.カートライトによって発明されたという。1866年(慶応2)に日本では鹿児島紡績所が,イギリスのプラット社から100台輸入したのが初めであるが,その当時はしかしながら,ほとんど普及するにいたらず,1897年(明治30)ころから,ようやく日本においてもこのような力織機が,本格的に使われるようになった。

 1907年(明治40)ころから,力織機を使用して絹織物を織ることがうまくいった。これからは,空気ジェットおよび緯入れざお,その他いろいろな方法による緯入れや,前に述べた〈円形織機〉などの研究も続けられている。

 幅1m内外の綿スフ織物の製織を行うことを目的として,構造的に高速運転がうまくできるようつくられ,自動織機がこれらの大部分を占めているものに,“綿スフ織機”がある。“絹人絹織機”もできた。他方わが国でも1925年(大正14)豊田式自動織機豊田佐吉が発明してからのち,自動織機が各種つくられ,大量生産用織機として“綿織物工業”で使用され,わが国を世界有数の繊維工業国に高める原動力の役割を果たした。

 〈毛織機〉は,幅2m内外の毛織物を織る力織機で,運動速度は遅いけれども,きわめて丈夫につくられている。

 力織機における停止装置は,緯糸が切れたりシャットル内の緯糸が製織中になったときには,自動的に,停止装置が働いて,力織機は,その運転を停止するという役目を果たすことで高く評価されているのである。

 そして〈緯糸切断停止装置〉には,センター=ウェフト=フォーク式およびサイド=ウェフト=フォーク式という二つの種類がある。

 〈緯糸補給装置〉は,緯糸が切断さたりなくなったりした場合に,運転を停止することなく新しい緯糸を自動的に補給するものであって,これと〈経糸切断停止装置〉とをもった織機を〈自動織機〉という。運転中に杼口からシャットルが外に飛び出して経糸を切断したり,人間や機械に危険を及ぼすのを防ぐ〈杼保護装置〉があり,また〈起動および制動装置〉が存在する。

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