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●オラン・ラウト

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 マレー語で“海上の民”を表し,海上に船やいかだを浮かべて住居とし,生活を営むマレー系の海上生活者漂海民をさす総称。

【分布】今日では,かつてオラン=ラウトと呼ばれた人々の多くが陸上に住居をもち生活様式を変えてきているが,今世紀初頭までは,東はフィリピンの各諸島,西はビルマ沿岸のメルギー諸島のあいだにひろがるスルー諸島,スラウェシ(島)・ジャワ島・カリマンタン(島)・スマトラ島などの海域および島嶼部に数多くの海上生活者が存在した。これらの人々はその大部分がマレー系人種であるが,個々の地域の集団は,固有の神話・歴史や生活様式をもつ,たとえばスルー諸島沿岸のモロ族,スルー諸島からスラウェシ(島)・カリマンタン(島)におよぶバジャウ族,メルギー諸島沿岸のモーケン族などいくつかの民族に類別できる。そして,狭義にはマレー半島南端の,ジョホールバール海域の集団をオラン=ラウト族と呼ぶ場合がある。オラン=ラウトに類似する海上生活者の存在は以上の地域に限らず,中国南部地方にはいわゆる蛋民と呼ばれる人々が今日も数多く,さらにわが国にも昭和30年代までは瀬戸内海や九州西海岸に“船住い”とか“家船”と呼ばれる人々があった。海上生活者は東南アジアに分布することに特徴がある。

【生活様式】オラン=ラウトは,一夫一婦制にもとづく家族を単位に船上生活するが,通常20〜50家族で集団を構成し,各集団には一定の根拠地がある。宗教儀礼や年中行事などの際には根拠地に戻り,集団で行事を営み,それが終了すると再び船で海上生活に戻る。彼らのなかには造船術や航海術に優れ,交易に従事したり,ときには海賊として恐れられたものもあった。しかし,どの地域でも生業の基盤は漁業にあり,とくに銛突き漁業や裸潜水漁業が中心である。これはわが国の家船や中国の蛋民の場合にも共通する。漁獲物は各海域の魚類・貝類一般のほか,ナマコ・エイ・真珠貝などで,それらを陸上に住む農耕民や東南アジア各地に多い中国人の農産物や商品と交換・交易しながら,一定地に長期間とどまることなく,海上を漂泊生活したのである。ところで,イスラーム教受容者が多いマレー系の人々のなかで,オラン=ラウトはその受容を拒否しているものが多く,たとえばメルギー諸島のモーケン族の場合,宗教生活はボモと呼ぶシャーマンへの依存が高く,人は死後悪霊に支配されるという信仰から,死者を恐れ,死者を島に放棄する習慣もあった。しかし古い記録によると,家長の死の場合のみ,その生活した船を中央から切断し,船棺として遺体を納め,陸上に葬ったという報告もある。オラン=ラウトの生活は,船住いという独特の様式,そして漁業への依存度の高さなどを除けば,イスラーム化以前,あるいは非イスラームのマレー系陸上民の生活と大きく異なる点は少ない。それは彼らが陸上民との共存によって生活を維持できたことと関連しよう。しかし,彼らが陸上民から異質な目でみられ,差別を受けた民であることは多くの地に共通する。

【陸上定着と消長】オラン=ラウトの生活様式が西洋の学者に注目されたのは古く,18〜20世紀初頭には数多くの報告がなされている。しかし,文化人類学の研究が体系化をみた今世紀前半には,すでに多くの海上生活者が陸上への定着化をはかり,今日では十分な研究を難しくさせている。陸上への定着に際しては,完全に陸地に上がったものもあるが,沿岸の水上家屋に移ったものが多いのは,以前の生活との連続性を推測させる。職業面の変化にはいくつかの方向性がある。すなわち,海上生活当時から従事していた漁業や商業を持続する人々がある一方で,農業やカリマンタン(島)の一部バジャウ族のように牧畜業への転換をはかった人々,また近年の各地域の近代化に伴い成長してきた観光業や各種商工業に従事する人々などである。〔参考文献〕羽原又吉『漂海民』1963,岩波文庫

野口武徳「陸にあがる東南アジアの漂海民」『イスラム世界の人びと-海上民』1984,東洋経済新報社