●小野篁 おののたかむら
アジア 日本 AD802 平安時代
802〜852(延暦21〜仁寿2) 平安前期の文人公卿。参議岑守(みねもり)の長男。『文徳実録』によれば,少年時代を父の任地陸奥ですごし,弓馬に熱中して帰京後も学問をかえりみなかったので,嵯峨上皇は学者の父には似ない子だと嘆いた。これを聞いた篁は大いに恥じて学業にはげみ,文章省試に及第し,大内記などを歴任して,833年(天長10)には東宮学士に任ぜられた。ついで翌年遣唐副使に任命されたが,乗船のことで遣唐大使藤原常嗣と争って出発せず,西道・(さいどうよう)という詩をつくって遣唐使のことを風刺したので,嵯峨上皇の激怒にふれ,838年(承和5)隠岐に配流された。840年(承和7)許されて帰京し,847年(承和14)参議に昇り,さらに左大弁・勘解由使(かげゆし)長官などの要職を兼ねたが,852年(仁寿2)12月22日51歳をもって没した。姓と参議の唐名により,野宰相・野相公と呼ばれた。漢詩・和歌・書道にすぐれた典型的な文人官僚である。
![]()