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●御伽草子 おとぎぞうし

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【御伽草子の意味】室町時代から江戸時代の初期にかけてつくられた平易な散文体の物語(草子)の総称。主として奈良絵本の形態をとる。従来,室町時代物語・室町時代小説・近古小説・中世小説などさまざまの呼称がこころみられてきた。江戸時代の初期から中期ごろ,渋川清右衛門が23編の草子を選び,『御伽文庫』または『御伽草子』と名付けて出版したが,近世末期にはその周辺の類似の作品をも含めてこの名が用いられたらしい。近世になるとさらにその範囲がひろげられ,島津久基はこれを室町時代短編小説の汎称とした。一方,「御伽」の語義の考察が折口信夫や柳田国男によって行われた。桑田忠親は,戦国から江戸時代にかけての大名に対する御伽衆の仕事の実態を歴史的に考察し,御伽草子とは元来御伽衆が御伽に用いた草子であるとした。荒木良雄や角川源義は「とぎ」の語源が口碑・絵解きの「とぎ」に由来するとした。また市古貞次は『御伽草子』が近世中期,すなわち御伽という語が大人のための御伽の衆による話から離れて,子女童幼のために用いられた変遷期に,出版書肆(しょし)により名付けられたものであることから,室町時代の小説の汎称としてはふさわしくないとする。

【御伽草子の形態】御伽草子の多くは,奈良絵本を添えた綴じ本である。興福寺の仏師の手になる奈良絵は極彩色の絵であるが,奈良のみならず京都でも製作された。古くは大型の縦長本であるが,のちの多くは小型の横長本で,さらにそれが丹緑本,さらに刊本として覆刻された。岡見正雄はこれら絵巻や絵草子の形態を,絵解きと関連づけて論じている。

【御伽草子の作者】御伽草子の数は300編から500編に及ぶと言われる。作者にはさまざまな人物が比定されるが,そのほとんどについて確証はない。おそらく多くの公家・僧侶・武家・町衆など幅広い人々によって書かれたものであろう。林屋辰三郎はこれを地域的集団生活・町衆の文化の所産とするが,一方,古川清彦のように,地方文芸としての成立を説くものもある。三谷栄一・大島建彦・佐竹昭広は個別の作品に関して民間伝承との比較を行っている。大島によれば,これらの創作は個人の能力よりも,民間の口承文芸同様,多数の意志によって支えられてきたものという。それらの作品に求められたのはさまざまの教訓・知識であり,そこには著しい教訓性・啓蒙性が認められる。

【御伽草子の分類】御伽草子の分類は早くから試みられてきた。長谷川福平の『古代小説史』,平出鏗二郎の『近古小説解題』,藤岡作太郎の『鎌倉時代文学史』,島津久基の『お伽草子論考』,佐成謙太郎の『御伽草子研究』,折口信夫の『日本文学啓蒙』,野村八良の『室町時代小説論』,吉沢義則の『室町文学史』など,それぞれの分類案を提示している。現在最も用いられているのは市古貞次の『中世小説の研究』における作品の主人公別の分類法で,[1]公家小説,[2]僧侶小説,[3]武家小説,[4]庶民小説,[5]異国小説,[6]異類小説とするものである。

【御伽草子の構想】大島建彦は,御伽草子の基調をなすものは庶民文芸の性格であり,口承文芸との関連であるとする。すなわち御伽草子は短編でありながら内容的には長年月の人生にわたり,その主人公は現実を超えた非凡な人物である点で物語文学の伝統に連なるが,人物や事件の叙述にとどまり,描写が類型的なことは昔話に通ずるという。この昔話とは柳田国男分類の完形昔話,関敬吾分類の本格昔話に当たり,[1]主人公の異常な誕生と成長,[2]主人公の異常な才能発揮と異常な事業成就,[3]主人公の異常な幸福獲得という発端・展開・結末をもつ。『御伽草子』はまさにこの類型に則って語られる。大島によれば,主人公は山中・水辺の他界に縁ある神聖な童子である。彼らはしばしば“小さ子”の出現形態をとり,神仏の利生・動物や人間の援助・弓矢の誉・管弦や和歌の徳によって異常な事業をなしとげ,婚姻と富の獲得という異常な幸福に導かれる。末尾に祝福の意を表す類型的な句があるところも昔話に類似している。全般を通して見れば,これら御伽草子は明るい調子で書かれ,その明るさは民間の昔話のみならず,仮名草子や浮世草子など,江戸の庶民文学に受け継がれていった。

〔参考文献〕柳田國男『昔話と文学』1938,創元社,(『定本柳田國男集』6,筑摩書房)

桑田忠親『大名と御伽衆』1942,青磁社

林屋辰三郎『中世文化の基調』1953,東京大学出版会

市古貞次『中世小説の研究』1955,東京大学出版会

大島建彦『お伽草子と民間文芸』1967,岩崎美術社

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