●オタワ会議 オタワかいぎ
ヨーロッパ 英国 AD1932 ハノーヴァー・ウィンザー朝
1932年7月21日から8月21日にかけて,カナダのオタワで開催されたイギリス帝国経済会議。【世界恐慌】1920年代後半に訪れた経済的復興とそれに起因する相対的安定期は,第一次世界大戦中に破壊されたり,消耗された機械に代えて新機種をいれたために,雇用がのびず,また,大戦中に開発された軍事技術が,戦後,未開拓地に投入されて,農産物を中心に,生産を上昇させたことによる,生産と消費の不均衡が著しくなって,1929年末から世界恐慌をもたらした。恐慌が債権国であり,最大の輸出先であるアメリカで始まったことは,イギリスにとっても大きな痛手であった。イギリスは1930年11月,第1回帝国会議をロンドンで開き,イギリス帝国内での貿易促進を決め,1年以内にその具体化を議する会議をもつことを定めたが,オーストラリアやニュージーランドの都合で遅れ,1932年7月にオタワで開かれた。
【議題・参加国】会議はイギリス連邦の直面している資本主義の苦境を打開するための具体策が討議対象で,帝国の諸外国との貿易,連邦内の通商・関税,連邦の協力体制といった貿易政策に関するものと,通貨・物価・為替およびそれらに対する連邦の協定といった問題とにわかれた。参加国はイギリス本国を始め,カナダ,オーストラリア,ニュージーランド,南アフリカ,ニューファンドランド・アイルランド,南ローデシアの各自治領とインドで,カナダ首相べネットが議長となった。
【協定】会議は,帝国内諸国間の関税特権に関する相互性,ポンドの安定とそのための為替安定地域の設定および低金利資金の貸出しをもりこんだ通貨政策,帝国内工業の振興と適切な分布を決議した。さらに会議は,オタワ協定として知られている相互通商協定網を,参加国全体,本国と自治領間,自治領間にはりめぐらせた。それらの協定は5年間の効力をもっていたが,その内容をまとめれば,イギリス本国は外国産の特定商品に課税し,自治領からの輸入については,現行で無税のものは無税期間を延長し,課税するときには,あらかじめ協議する。各自治領は綿織物・絹・人絹といった本国商品の輸入に対して特恵関税とし,自治領の保護関税は一定の商品についてのみ実施する,といったものである。
総じていえば,イギリス本国が自治領の結束した強い要求に押されてできたものということができる。なお,英印協定は,イギリス本国がインドに与えていた特恵をそのまま保持し,インドはイギリス本国への特恵を拡大するとし,他の協定と違って6カ月前の予告によって廃棄できる,全体としては,イギリスの経済的排他主義を打出したものであった。
【ブロック経済】この会議のもつ意味は,航海条令廃棄以来,長く自由貿易主義を保持してきたイギリスが保護貿易に転換したことにある。「世界の工場」となったイギリスは,圧倒的な工業力によって,世界を市場としてきた。このため,イギリスは工業製品を輸出して,農業生産物などを輸入するという構造の上に,自由貿易をつづけてきた。各国の工業がある程度発達して,1870年ごろから,保護貿易をとりはじめたときにも,イギリスは自由貿易制度の原則を捨てなかった。それが,世界恐慌に直面して,自由貿易制度を捨てざるをえなかったことは,国際経済におけるイギリスの地位の低下を示すものである。世界恐慌は,相対的安定期に芽ばえてきた協調主義を崩壊させ,各国は恐慌を切りぬけていくために,それぞれの国益を守るのに懸命になって,エゴイスティックな政策をとりはじめる。植民地や経済勢力圏をかためて,排他的になるブロック経済の時期がやってくる。フラン=ブロック,ドル=ブロックなどがこれであるが,オタワ会議によって設定されたポンド=ブロックはその先駆的なものである。ブロック経済を設定しえない「もたざる国」は,このことによって,一層危機感を感ずるようになってくる。