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●小田野直武 おだのなおたけ

アジア 日本 AD1749 江戸時代

 1749〜80(寛延2〜安永9)江戸後期の洋風画家。幼名長治,通称武助。字は子有,号は羽陽・麓蛙亭・蘭慶堂。幼時に武田円碩から狩野派の指導を受けた。秋田藩の角館城代の士として,藩の銅山方産物吟味役であったが,銅山事業の指導検分に藩の招きに応じて来た平賀源内に画才を認められ,西洋画の表現法の指導を受けた。1773年(安永2)江戸に出て数カ年洋風画の技をみがいた。直武の写実的な描写力と緻密さを認めた源内の推挙により1774年に刊行された前野良沢・杉田玄白の共訳外科書『解体新書』の挿画を担当。参勤で江戸参府する芸術家気質の秋田藩主佐竹義敦(画号曙山)の厚い信任をうけ,ともに努力して秋田蘭画と呼ばれる本格的な洋風画派を創出した。1779年藩財政の直諫が因(といわれている)で謹慎を命ぜられ帰郷,翌年5月17日赦免前日に没。絶学源真信士。過去帳に“小田野平七子共”と記す。同地曹洞宗松庵寺に葬むる。同寺入口に角館町有志の碑が立つ。