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●オセアニア

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 日本語では大洋州と訳される。陸地面積でいえばいわゆる6大州のうち最小で,オーストラリア大陸の770万平方km,ニューギニアの82万平方km,オーストラレーシアの27万平方kmと,あと太平洋にひろがる島嶼群の面積を合わせて約900万平方kmにしかならないが,その拡がりからいえばこれらの島嶼の散在する太平洋の南半部を包括することになるので,日付変更線の東西にまたがり,赤道を挟んで南北両半球に及ぶ最大の領域をもつことになる。これを陸地部分の地域区分によって,

 オーストラレーシア(Australasia)・メラネシア(Melanesia)・ミクロネシア(Micronesia)・ポリネシア(PolYnesia)の四つに分けて考えることができる。オーストラレーシアは,オーストラリア大陸とタスマニア・ニュージーランドを含む地域であるが,原住民族の起源や分布からいってマオリ族の故郷,ニュージーランドを外すこともある。

 メラネシアはニューギニアとその東方に連なるビスマーク諸島・ノロモン諸島・ニューヘブリデス諸島(現在,国名としてはヴァヌアツ共和国)・ニューカレドニア・フィジーにいたる部分で,ほぼ日付変更線以西,赤道以南の部分に当たる。ここでも,ニューギニアだけをパプアという地域名で別に扱うこともあるが,これもその起源からパプア人とメラネシア人とを分ける考え方にもとづくものである。

 ミクロネシアはメラネシアの北に当たる部分,すなわち,ほぼ赤道以北の西部太平洋に散在する小島嶼群で,カロリン諸島・マーシャル諸島・マリアナ諸島から成り,このマリアナ諸島は地形上,そのまま日本の小笠原諸島に連なる。ポリネシアは,ハワイ諸島・イースター島・ニュージーランドを結ぶいわゆるポリネシア三角形のなかに納まる部分の島嶼群で,ここにはサモア・トンガ・マルケサス・ソシエテなどの諸島が含まれる。なお,オーストラレーシアを除くメラネシア・ミクロネシア・ポリネシアの三つの島嶼群を総称してトライネシア(Trinesia)と呼ぼうとする試みがあるがまだ定着した語とはなっていない。

 陸地の分布は概して太平洋西岸側に偏しており,これは環太平洋造山帯の西縁に当たる部分であってニューギニアを東西に走る高度4,000m級の中央山脈やオーストラリア東岸のオーストラリア=アルプスと呼ばれるグレート=ディバイディング山脈がある一方,マリアナ諸島東側の水深1万mを超えるマリアナ海溝をはじめとするいくつかの海淵もあって大きな褶曲の地殻運動のあとがみられ,それに沿って火山脈が走って,いくつかの火山島の噴出を促し,その特徴ある山容が航海の目印として古くから知られている。これと対照的に,水面にまで造礁活動をしたサンゴによる平坦なサンゴ礁島も多く,この方は遠くからの望見が困難だったためヨーロッパ人による発見・命名が比較的遅かったものもあり,あるいは水面下の暗礁が航海の妨げとなったところも少なくない。

【気候】気候的にはオーストラリアが中緯度高圧帯にあって砂漠やサバンナといった乾燥気候の部分が多いことを除けば,ニューギニアからソロモン諸島にかけての熱帯雨林気候がジャングルを密生させ,南半球側の島嶼部では南東貿易風が,赤道以北の部分では北東貿易風が吹き,これに海陸風の影響も加わって全体として高温多雨ないし温暖湿潤の部分が多い。なお海流は,赤道付近で西流した上で北半球では時計回り,南半球では反時計回りに流れることになるが,オセアニアの領域ではこれが気候に影響することはあまりない。

【歴史】オセアニアをもっとも特徴づけることはここに住みつくまでの人々の移動経路である。人類の移動はいくつかの波となってこの全域に及んだと思われるが,それはまずアジア大陸の東南部から,洪積世末の第4氷期の海退でほぼ陸つづきとなっていたと考えられる大スンダ列島や,ニューギニア・オーストラリア間,オーストラリア・タスマニア間の陸橋をたどって来たオーストラロイド,つまり現在のアボリジニーや1876年に絶滅したタスマニア人などの最古の移住者たちが来住して,その生活様式も石器時代そのままで,タイム=カプセルに封じこめられたような状態となつた。

 次に同じく東南アジアからこれはニューギニアに留まってパプア人となり,あるいは一部メラネシアにまで及んだと考えられるグループがあり,これはニューギニア島内の険しい山中に分かれ住んで,互いに独立した数百の部族となった。原始的な農業によるタロイモその他の根栽に特徴がある

 そして最後に最も大規模な移動の波がメラネシアから溢れ出すように東はポリネシアに及び,一部は反転して北上し,ミクロネシアを覆うことになったと思われる。これは考古学・言語学の研究からその移住経路とその年代についての分析が進められており,フィジーに前1290年,トンガに前1100年,サモアに前800年ごろに到達していた植民が,西暦紀先後の300年にマルケサス,400年にはついに東端のイースター島に達しており,900年には南方にのびてニュージーランドへ,1300年には北方のハワイ諸島に枠を拡げてポリネシア三角形を完成した。ミクロネシアへは,一方ではすでに前1300年ごろにメラネシアからギルバート(Gilbert)諸島・マーシャル諸島に沿って東からの植民が始まり,他方では前1000年ごろにフィリピンから直接の移動の波が西側のカロリン諸島・マリアナ諸島の部分にいたるという形で覆われたらしい。そして,このポリネシア,ミクロネシアへの人類の移動には,その手段として船による航海が必要だったことから,造船と操船の技術に長じた大航海民族が形成されたわけで,オセアニア史のなかでこれら航海の技能が果たした役割はきわめて大きいことがわかる。なお,イースター島に関しては,その巨石文化の謎を解く手がかりとして,南アメリカとの文化の接点を探ろうとする試みがなされ,ヘイエルダールのチリ海岸からイースター島への実験的航海も行われたが確証を得るにはいたらなかった。

 このように,ひとことでオセアニアといってもそこに住みついた人々の来歴は時間的にも空間的にも単一ではないので,その文化も多様多岐である。そしてこれに拍車をかけたのが近世のヨーロッパ人の来航に始まる征服・領有・支配の歴史である。

 具体的にはヨーロッパ人が大発見,大航海時代と称する近世の幕あけがオセアニアを変革させることになる。1520年のマゼランのいわゆる世界周航で太平洋を東から西へ横断したのがヨーロッパ人による来航の最初であるが,以後,スペイン,ポルトガル,オランダ,イギリス,フランスなどの探検隊・調査隊・軍隊から宣教師団にいたる各層の来航とそれに伴う各島の領有宣言が相つぎ,それぞれの島はそれが本来もっていた固有の名称に代わって新たに命名されたヨーロッパ本国のことばによる地名で呼ばれることになり,それぞれの本国語そのものが住民にも強制されその宗教がもたらされて,まったく2次的,偶然的な事情による新しい文化圏に分断されることになった。この段階では,本国側の都合だけで,ある土地は流刑植民地となり,あるところは特定農産物のプランテーションの場として開発され,さらにその必要に応じて住民の一部を人さらいそのほかの強制的所業によってほかの土地に移住させるなどの大規模かつ徹底的な変化が加えられた。これは状況の差こそあれ,今世紀前半まで,つまり第二次世界大戦まで続いたといえよう。オセアニアの各地に権益を保持する国はいろいろ交代したが,支配者としての欧米諸国と支配される側としてのオセアニアという形は変わっていなかった。とくに,いくつかの地点が軍事拠点として利用されたり,あるいは核爆発実験の場として人道上の問題を残した島も少ないとはいえない。

 しかし,一方では新しいオセアニアの曙光は今世紀初頭からほのかに現れはじめていたともいえる。1901年に成立したオーストラリア連邦が,1931年,オセアニアにおける最初の独立国となったのと前後してニュージーランドも独立,戦前における二つの新興勢力となったが大英帝国の一翼を担ってその国旗にも依然としてイギリスのデザインが残されていた。この2国が現実には白人の国家であったのに対し,1962年の西サモアに始まるオセアニア諸国の独立は新しい民族主義の動きとなって,1968年ナウル,1970年トンガとフィジー,1975年パプア=ニューギニア,1978年ソロモン=アイランズとツヴァル,1979年キリバス,1980年ヴァヌアツがそれぞれ完全独立したほかミクロネシアのようにアメリカとの自由連合の体制をもって,あるいはニウエのようにニュージーランドの連合国として自治を与えられるところがふえてきた。そしてこのような波はいまだに海外領土として残っているいくつかの島々にも少なからず影響を与えており,各宗主国にとっても問題をはらんでいる。

 政治的独立と並行して,文化の面でもそれぞれのもつ固有の伝統文化への回帰ないしは復元が新たな動きとなっている。数世紀にわたる白人支配のもとで,実際の混血も進んだがそれ以上に文化の混血ははなはだしく,いいかえればほとんど全域にキリスト教文化が普及し,外面的にヨーロッパに準じた現代風が一般化している半面,オセアニア独自の文化が内蔵されていて,ユニークなものとなっている。ここではいまさら“純粋な伝統文化”を取り出すことはきわめて困難なことで,短い年月のあいだに著しい変容がおこった過程の分析に,社会学・人類学そのほかの興味が集中している。

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