●オスマン=ベイ(オスマン1世)
AD1258
1258〜1326 オスマン朝の創始者。ユーフラテス川を渡り,ルーム=セルジュク朝のビザンティン帝国との西部国境地域に封土を受け辺境戦士(ガジー)となったエルトゥルル=ベイの長子としてソユトに生まれる。1281年父の死により辺境侯(ウジ=ベイ)となり,ビザンティン帝国領への領土拡大を続け,1289年に大諸候(サンジャク=ベイ)となる。1299年ルーム=セルジューク朝スルタン,アレエッディン3世がイル汗国に倒されると,フェトヴァ(祈祷文)と鋳造貨幣に名を入れ,独立を宣言(オスマン朝の成立),その領域はアナトリア西北部であり,ビザンティン帝国と接していた。やがて帝国領内へと領土を拡げ,息子のオルハンにニケーアを攻略させ,さらにビザンティンの重要都市ブルサ攻撃を命じた。自身は,病気のため首都のイェニヒサルにあり,ブルサ陥落の知らせを聞いたのち没した。墓所はブルサに設けられた。オスマン=ベイの没後オスマン朝は,オルハン1世の治下にダーダネルス海峡をこえてヨーロッパに進出した(1357年)。ムラト1世はエディルネ(アドリアノープル)を首都に定め,コッソボの戦いではバルカン諸国の連合軍を打ち破り(1389年),バヤズィト1世はニコポリの戦いでヨーロッパ連合軍を撃破しスルタンを名のったが,1402年アンカラの戦いでチムール軍に大敗した。その子ムラト2世は帝国を再建,1453年コンスタンチノープルを落し,ビザンツ帝国を滅し,帝国は1923年ケマル=アタチュルクが共和制を宣言するまで36代続くことになる。
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