●オーストラリア
大洋州 オーストラリア AD
【総説】首都キャンベラ,人口約1,784万人(1996年)。国名はラテン語のテラ=アウストラリス(南方の大陸)に由来する。東は太平洋,西はインド洋にはさまれた島大陸で,ほかにタスマニア島・ノーフォーク島など大小の島からなる。北部は亜熱帯に属し,一部地域は熱帯降雨林を形成する。東西約4,000km,南北約3,200km,面積約771万平方kmで日本の約22倍。人口の都市集中化が進み,80%が東海岸沿いに,65%が6州都とキャンベラに居住する。これはオーストラリアが基本的には乾燥大陸で,中央部が広大な砂漠地帯のため入植しにくかったことによる。人口分布は降水量の点で耕作可能な地域に一致する。地形的にはクィーンズランド州北端からビクトリア州にかけて大分水嶺が縦走しており,その東側一帯が可耕地帯である。【動植物】自亜紀以前にほかの大陸と分離し,乾燥した気候条件にあることから特異な動植物相がある。自生の植物としてはユーカリ(ガムツリー)約500種とアカシア属(ワトル)約600種がある。ユーカリには高さ90mに達するマウンテン=アッシュから,砂漠に生えるごく小さなものまであり,ジャラーは世界で最も硬い木とされる。
固有の哺乳動物230種の約半分は有袋類。カンガルー・コアラ・ウォンバット・ポッサムなど形や性状もさまざまである。180年前に渡来したウサギが野生化して繁盛をきわめている。特異なものとしては卵生の哺乳動物であるカモノハシ(単孔類)があげられる。トカゲ300種,ヘビ140種。とくにエリマキトカゲが有名。鳥類は約800種,このうち530種は固有のものでエミュー・コトドリ・クカバラ(わらいかわせみ)などがいる。肉食獣としては野生化した犬(ディンゴ)だけで,タスマニア島には渡らなかったため,同島にはさらに特異な動物が残っている。
【民族・宗教・言語】人種的には英国系白人を中心にヨーロッパ(イタリア・ギリシア・ユーゴスラヴィア・ドイツ・ポーランド・ロシア)からの移民で構成される。先住民アボリジニは総人口の約1%,近年アジアからの移民が増加,約2%を占めるに至った。インドシナ難民も急増し1984年までに8万8000人を記録した。イギリス国教徒が約35%・カトリック25%・メソディスト10%・長老派9%。青年層には宗教に関心を示さない者が増えている。公用語は英語。
【歴史】1770年にキャプテン=ジェームス=クックが発見,ボタニー湾に上陸して以来,英国領となる。1788年にはアーサー=フィリップ率いる船団が流刑囚を乗せてシドニーに上陸し,流刑植民地の建設が始まった。従来の流刑地であったアメリカが独立したため,英国はオーストラリアを代替地としたもの。流刑地は大陸の東海岸沿いに複数建設され,都市化し,やがて1850年代には自治植民地へと発展した。当初はニュー=サウス=ウェールズ植民地と呼ばれていたが,順次,クィーンズランドブリスベーン・ビクトリア(メルボルン)・南オーストラリア(アデレード)・ヴァンディメンスランド(現在タスマニア・ホバート)・西オーストラリア(パース)が独立,英国により内政自治権が付与された(オーストラリア植民地統治法)。19世紀初頭メリノ種の羊の導入により,経済発展のきっかけを得,1850年代のゴールドラッシュにより急速な成長期に入った。この時に英・米・欧州からの移民労働者が急増し,流刑地から新生国家へと漸進的発展の基盤ができたが,同時に低廉な中国人が苦力(クーリー)として多数導入されたため白人とのあいだで社会的緊張が生まれ,黄色人種を排斥するイデオロギー(白豪主義)も登場した。1890年代に統一国家建設への模索が進められ,1901年1月に6植民地を統合してオーストラリア連邦が誕生した。
【政治】エリザベス英女王を元首とする立憲民主制で議院内閣制を採用している。また米国流の連邦制を導入し,政治は連邦とに二元化される。連邦議会は上下両院制。日本に比べ州政府の権力が強く,連邦政府が強力に政策を推進することが困難なこともある。植民地時代から今日に至るまで,非労働党勢力対労働党の対立,すなわち保守主義対社会民主主義の対立図式で運営されてきた。両勢力の支持層は,前者が経営者・ホワイトカラー・農民,後者がブルーカラーおよびその組織体としての労働組合と大別できる。保守勢力は政治制度の上で立憲君主制を擁護し,労働党はナショナリズムに訴えて共和制を志向する。しかし労働党が一枚岩的に共和制論者であるわけではない。現在の主要保守勢力は自由党と国民地方党である。労働党は19世紀末以来,単一政党として最も古い歴史をもつ(「オーストラリアの政党」参照)。
【外交・防衛】英帝国の自治領として第二次世界大戦前は,独自の外務省をもたず,対外交渉は英国政府を通じて行われるのを慣習としていた。国防も英海軍力に依存,戦時の指揮権も英国にあったので,国際法上にいう主権国家ではなかった。独立した外交を展開するようになったのは戦後であり,基調は冷戦構造の下,対米協調をとり,朝鮮戦争・マレー危機・ヴェトナム戦争では出兵した。1970年代,米中接近をきっかけに社会主義国,とくに中国との交流を深めている。日本は日露戦争(1904〜05)以後,オーストラリアの仮想敵国とされ,第二次世界大戦では軍事衝突(カウラ)もあった。しかし戦後,オーストラリア人の対外意識が反共へ変化し,日豪貿易が急速に拡大するに伴い好転した。国防政策は従来海外派兵による脅威の解消に重点を置いていたが,ヴェトナム戦争後,本土防衛を主眼にした「大陸防衛政策」へと転換した。防衛面では米・日・ASEANと協調関係にある。
【経済・貿易】戦前は羊毛と小麦に支えられ,戦後は石炭・鉄鉱石など資源開発によって繁栄している,西側先進国の一員ではあるが,貿易構造面では,鉱物資源(鉄鉱・石炭・ボーキサイト・ウラニウムなど)と農産物(牛・羊肉・小麦・砂糖・羊毛・乳産品)を輸出し,工業製品を輸入する発展途上国型である。しかし就業人口でみると第三次産業が約70%を占め先進国型。工業化を経験せずに大衆消費社会へ移行するなど,特異な経済発展を示した。戦前は英国特恵制度の下で農産品供給国として繁栄してきたが,英国の貿易上の地位は1930年代には50%を下回り,日米が相手国として台頭した。第二次世界大戦後,英国がECに加盟する方針をとるに従い,英国離れが進み,60年代には20%以下,80年代には4%以下になった。オーストラリアからの輸出相手国は1980年で日本が27%と最大,輸入相手国はアメリカ22%,日本16%。日豪貿易は「相互依存関係」にあるとされている。近年はアジア中進国との関係を深めている。
【学芸・文化】乾燥大陸の自然を題材にした文学・絵画作品が多い。都市に対比した言葉として「アウトバック」を使い,草木のある「ブッシュ」などの自然を通じてオーストラリア的なもの,国民としてのアイデンティティを追究する姿勢がみられる。旧大陸からの孤立,国内での都市間距離の長さなど「距離の暴虐」を感じ,苛酷な気象条件下での生き方を探った作品が特徴的である。ノーベル文学賞作家にパトリック=ホワイトがいる。また最近ではアボリジニの固有文化に対する関心が徐々に高まりつつある。スポーツがきわめて盛んで,テニス・クリケット・ヨット・水泳は国民的スポーツ。ビクトリア州のオーストラリア式フットボールは有名。1983年には国際的ヨットレースのアメリカズ=カップに豪チームが優勝した。学術分野ではとくに人工受精の研究や亜熱帯地方での農業研究に見るべきものがある。
【日豪関係】1887年兼松房治郎が羊毛輸入商社(現・兼松江商)を設立,渡豪したのが発端。明治初期には木曜島などの真珠貝採取・砂糖きびプランテーションへの労働者移民が行われたが,白人優遇政策(白豪主義)のため途絶えた。第二次世界大戦中にはシドニー湾への潜航艇攻撃,泰緬鉄道工事への豪将兵捕虜動員,カウラ捕虜収容所暴動(カウラ)などの事件があった。豪軍は呉地区に進駐,多数の戦争花嫁が渡豪した。英国のEC加盟,豪州国内での鉄鉱山開発など1960年代以降,日本の高度成長につれて経済関係が緊密化した。80年では日本の輸入量のうち石炭の40%,鉄鉱石の45%,羊毛76%,砂糖34%,肉類66%を豪に依存しているが,近年アメリカが石炭・肉類の対日輸出の増加を強く迫っているため,シェアは漸減傾向にある。日本への関心は強く,第2外国語として日本語を学ぶ子弟は人口比で世界一といわれる。1975年豪州政府が豪日交流基金を設立してから,日本国内でも対豪関心が高まり,また若者が短期的就労を許されるワーキングホリデー=ビザ制度が導入されてから人的交流も増加,旅行者も急速にふえている。
〔参考文献〕小島清・日豪調査委員会編『豪州経済ハンドブック』1981年,日本経済新聞社
G.ブレイニー,長坂寿久・小林宏訳『距離の暴虐』1980年,サイマル出版会
D.ソロモン,川口浩・竹田いさみ訳『現代オーストラリアの政治』1982年,敬文堂
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