●オシラサン信仰 オシラサンしんこう
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青森県・岩手県を中心として,北海道の松前地方,秋田県および福島県の一部,宮城県の北部に分布する男女一対の木製の神像に対する信仰。家の主婦を中心とする女性たちによって祀られ,信仰内容は,家内安全・五穀豊穣・商売繁昌などの現世利益的なものである。オシラサンには,“オシラサンの命日”と呼ばれる祭日があり,“オシラサンアソバセ”が行われる。この祭りには,イタコやゴミソが参加して,家や信仰者の吉凶禍福に関する託宣が行われる場合もある。【オシラサンの形態】オシラサンの御神体は,丈30cm,太さ直径3cmの木製棒状のものである。岩手県南部から宮城県北部には竹製のものもある。御神体の頭部に人の顔が彫られた人頭型,男神が馬頭,女神が姫頭の馬姫型もある。また御神体は包衣に包まれているが,その包衣の着せ方によって,頭部まで包衣に包まれている包頭型,頭部が包衣から突き出している貫頭型,1体のみが包頭,他の1体が貫頭の半貫頭型があり,さらに特殊なものとして,包衣が豪華で,丈が長く,首のまわりに鈴をつけている久度寺型などがある。普通オシラサンは,人目を避けて祀られ,ことに包頭型の場合には,その御神体は拝めない。竹製のオシラサンはすべて包頭型である。
【オシラサンに関する諸研究】現在はオシラサンという名称が学名として認められているが,その呼称は地域によって異なり,青森県・岩手県ではオッシラサン・オシラサン・オシラガミ,福島県ではオシンメサマ,岩手県の一部,宮城県ではオッシャサマ・オッシャポトケなどと呼ばれている。オシラサンの学問的研究は1897年(明治30)に書かれた姉崎正治の「中奥の民間信仰」を端緒とする。姉崎は,オシラサンを不動信仰が民間化され,曲解化されたものと考えた。これに続き,加藤咄堂・喜田貞吉はオシラサン信仰をアイヌの神信仰の一つと考え,金田一京助は,これを,馬鳴・蚕神信仰とした。これらの諸研究は,オシラサンを既成の神や経典神,経典仏に結びつけようとする試みであった。これに対して立場を異にするのは,柳田国男であり,柳田は,オシラサンを日本固有の神であるとした。しかし,オシラサンの起源や由来に関しては,未だ不明な点が多い。オシラサンは,日本の庶民信仰の対象となっている神や仏たちのなかでは最も経典的要素の少ないものである。オシラサン信仰は,信仰現象の面から考察するならば,人々の欲求の非合理的充足を基礎とする経験的信仰であって,場合によっては,これに仏教や神道の経典的信仰が結びつきながら形成された特殊な信仰現象であるといえよう。
【オシラサンの祭り】オシラサンには神棚や床の間に祀られ,朝夕礼拝を受けているものや,仏壇の奥に秘仏のように隠されているものもある。また,1年に1度か2度「オシラサンアソバセ」という祭りがある。この祭日は「オシラサンのオメイニチ」と呼ばれる。オメイニチは主として,正月・3月・9月の16日である。その前日に家の主婦は,オシラサンに新しい包衣を着せ加える。祭りの当日には,婦人たちだけがオシラサンを祀る家に集まって,オシラサンアソバセを行う。男性はこの祭りに参加しない。本家のオシラサンの祭りに,分家などのオシラサンを合祀する場合もある。この時祭壇にはオシラサンが幾組も祀られる。津軽の一部では,祭りに参加する女性が1人1対のオシラサンを持ち寄って,手に手にこれを舞わして賑やかな祭りを行うところもある。オシラサンの祭祀集団の型を分類すると,血縁を中心とする同族的女性祭祀集団・血縁に地縁が加わった同族的・地縁的女性祭祀集団,さらに地縁的女性祭祀集団・講型祭祀集団などがあり,このほかに,病気になった人が病気直しのためにオシラサンを新造したり,譲りうけて祀る個人型がある。福島県では,病人の家を次から次へと回って歩く「旅オシラサン」の現象がみられる。近年,世代の交替・転出・絶家などが原因で祭りを喪失したり,忘れられているオシラサンも多いが,なかにはまったく信仰機能を喪失したり,厄介がられて捨てられていく「捨てオシラ」もある。津軽の久渡寺は役目を果たして暇になったオシラサンを預かっており,ここには1,000体を越えるオシラサンが祀られている。久渡寺においては,仏教の歓喜天信仰とオシラサン信仰とを結びつけ,さらにこれにイタコを加える「カミヨセ」という行事があり,これは寺院が積極的にオシラサン信仰を制度化しようとした特殊なものである。
【オシラ祭文】「オシラサンアソバセ」では,イタコがこれに参加して,「オシラ祭文」を唱えてオシラサンを祀る場合が多い。このオシラ祭文には「金満長者物語」「しまん長者物語」「満能長者物語」「せんだん栗毛」などがある。これらの祭文は口伝によるもので,種類は多いが,その内容は馬姫婚姻譚に長者物語が結びついたものである。オシラ祭文にもとづいてオシラサンがつくられた場合,オシラサンは馬姫型となっているが,オシラサンとオシラ祭文は必ずしも結びつくものではない。オシラサン信仰が先行し,オシラ祭文がのちに加わったと思われる。オシラ祭文として唱えられるもののなかには,このほかに「中臣祓」や久渡寺の「大志羅利益和讃」などもある。さらに,秋田県・岩手県・宮城県・福島県のイタコはオシラ祭文を誦すことはできない。オシラサン信仰には所依の経典もなく,教祖も,教団も,教理もない。そして,オシラサンは,血縁・同族・地縁などの集団の現世利益の実現にかかわる守護神的信仰対象である。この信仰は,さまざまな経典の神仏と結びつくが,それにとって代わるほど強力ではない。構造的には祖先崇拝と類似する点も多い。したがって家や家連合を形成する同族組織の変遷に伴ってオシラサン信仰も消長,変化していくであろう。
〔参考文献〕楠正弘『庶民信仰の世界』1984年,未来社
柳田國男「大白神考」『定本柳田國男集12』1969年,筑摩書房
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