●小栗忠順 おぐりただまさ
アジア 日本 AD1827 江戸時代
1827〜68(文政10〜明治1)幕末期の幕臣,通称剛太郎・又一,豊後守のち上野介と改める。1859年(安政6)目付となり,翌年遣米使節の一人として渡米,帰国後,外国奉行にすすむ。1861年(文久元)ロシア海軍の対馬上陸事件がおこるや,現地に出張し折衝にあたった。翌年勘定奉行・町奉行をへて再び勘定奉行となり,歩兵奉行を兼ね,1863年陸軍奉行並となる。しかしこの間,新編成の陸軍部隊をもって朝廷側に圧力をかけ,和親開国の勅旨を得ようとする陰謀をめぐらせたとされ,罷免となる。1864年(元治1)勘定奉行復帰,ついで軍艦奉行,翌年また勘定奉行となり,製鉄所建設・横須賀造船所設立などを推進した。また,フランスとの軍事的・経済的結合関係を強めることを意図し,1866年(慶応2)600万ドルの借款契約を成立させるなど,末期の幕府財政・軍事改革に努力した。1868年(明治1)薩長への抗戦を強硬に主張して罷免・隠退したが,捕えられて斬罪となる。〔参考文献〕蜷川新『維新前後の政争と小票上野の死』2冊,1928−31,日本書院
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