●オクタヴィアヌス
ヨーロッパ ヨーロッパ BC63
前63〜後14 初代ローマ皇帝(在位前27〜後14)。幼名ガイウス=オクタウィウスといい母はカエサルの姪アティア。4歳のとき父が没し母とカエサルの影響を受ける。前44年カエサル暗殺後遺言によりカエサルの養子となり後継者に指名され,ガイウス=ユリウス=カエサル=オクタヴィアヌスと改名する。前43年アントニウス,レピドゥスと≪国家再建三人委員≫に任じられ第2回三頭政治を行う。前42年ブルトゥス・カッシウスらの共和派をフィリッピの戦いで破り,オクタヴィアヌスは西方,アントニウスは東方,レピドゥスはアフリカをそれぞれ勢力範囲として分割するが,レピドゥス失脚後オクタヴィアヌスとアントニウスの対立が決定的となる。前31年オクタヴィアヌスはアントニウスとクレオパトラの連合軍をアクティウムの海戦で破りエジプトを併合し,前29年ローマに凱旋して共和政末期の内乱を終結させた。前29年≪元老院の第一人者≫プリンケプス=セナトゥスの称号を与えられた。さらに前27年には国家を彼自身の権限から元老院とローマ人民の権威に返還し,元老院からアウグストゥス(尊厳なる者)という称号を与えられた。また属州統治を元老院属州と皇帝属州に分割して重要な属州を支配し,元老院から事実上の軍隊命令権を与えられ,宣戦講和権なども掌握した。彼の諸権限は共和政の伝統にのっとって合法的に獲得したもので,元老院との共同統治の形式がとられ元首制プリンキパトゥスと呼ばれている。元首制の性格についてはさまざまな議論がなされているが,彼をもって事実上ローマの帝政が始まったといわれている。オクタヴィアヌスは大規模な建築事業を行いレンガ造りのローマを大理石にかえたといわれた。また文学を奨励しホラティウス・オヴィディウス・ヴェルギリウスらの詩人たちが活躍しラテン文学の黄金時代を現出した。彼の治世の41年間は内政・外政ともに安定・充実し≪ローマの平和≫の時代が始まった。しかし後継者には恵まれず,3番目の妻リウィア=ドルシアの連れ子ティベリウスを養子とし後継者に任じ後14年南イタリアで没した。