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●荻原守衛 おぎわらもりえ

アジア 日本 AD1879 明治時代

 1879〜1910(明治12〜43)碌山(ろくざん)と号す。長野県南安曇郡東穂高村(現穂高町)農家の末子(5男)として生まれ,同郷の相馬愛蔵・良(黒光)に接して自由思想を知り,井口喜源治研成義塾に学び上京し明治女学校の巌本善治の下,小山正太郎の不同舎で画業に専念し,1901年(23歳)洗礼を受け渡米,フランスに渡り,ロダンの彫刻を見,彫刻家になる決心をし帰米。再渡仏しロダンに会い「女の胴」「坑夫」をつくる。1908年(30歳)ギリシア・エジプトの美術を見,帰国。新宿に画室を建て戸張孤雁と親交を重ね「文覚」が文展入選。第3回文展に「北條虎吉像」「労働者」を出品,「女」の制作に血みどろの思案をかけ完成した3月末,相馬愛蔵夫妻のもとで多くの血を吐き死去(32歳)。1968年,彼の郷里に多くの浄財で碌山美術館が建設され作品が収蔵展示されている。

〔参考文献〕仁科惇『碌山−荻原守衛−』1967,柳沢書苑

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