●荻原重秀 おぎわらしげひで
アジア 日本 AD1658 江戸時代
1658〜1713(万治1〜正徳3)江戸時代中期の幕臣,甲州の人,通称彦次郎。はじめ勘定所下役,勘定組頭を経て,1896年(元禄9),勘定奉行。従五位下近江守。幕府の財政窮迫のため,綱吉は重秀の建策にもとづいて金銀改鋳(元禄改鋳)を実施し,いわゆる出自金打出し政策を行い,幕府財政の十年分位の余力をもたらした。しかしその結果インフレをおこし,幕府麾下の旗本・御家人の生活を圧迫し,怨嗟をうけた。その後も重秀は財政通のため,もっぱら財政を担当し,手腕を発揮し,禄高3,700石まで上昇している。宝永年間にも改鋳をし,新貨をつくる。彼は財政を利用して私欲をほしいままにし,幕領巡検して無役のところに運上をかけ,賄賂請託につとめた。家宣政権となって新井白石に登用されたが,その後白石は重秀を弾劾,勘定奉行を罷免され,正徳2年に寄合となり3,000石を削られる。3年9月25日,憂憤食を絶って自殺する。56歳。