●隠岐 おき
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出雲の正比海中に所在する4島をいう。相対する3島を島前(とうぜん),その東北の大島を島後(とうご)という。島前は知夫・海士の2郡,島後は国吉・隠地の2郡で計4郡からなる。『延喜式』では下国,都から上34日・下18日の遠国とされていた。重罪者の配流される地で,古くは小野篁(たかむら)・承久の後鳥羽上皇・元弘の後醍醐天皇などがいる。隠岐神社は後鳥羽上皇の陵墓で,もと源福寺と称していた。維新後は寺像を置かず,廟堂に更建した。島前には燒火(たきひ)山があり山上に式内大山神社,麓の波止浦には比奈麻治比賣(ひなまちひめ)神社があって燒火権現という。古来,日本海を往来する船舶の目標で,近世では米子の竹島に往来する商船は,この神の加護を祈ったという。式内社玉若酢(たまわかす)神社の祠官隠岐氏は隠岐国造を称し,神宝に古驛鈴2口,正倉院一顆を管した。明治維新後の廃仏毀釈は,隠岐では,島民の意志として徹底して行われたところに特色がある。〔参考文献〕『隠岐国神社秘録』1953,神社本庁
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