●小笠原諸島 おがさわらしょとう
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東京湾の南方約1,000kmにあり,父島母島を中心とする小列島,1593年(文禄2)小笠原貞頼の発見といわれる。同諸島は長く無人島であり,史上にはスペイン人の探検,幕命による末次平蔵の探査などの記録がある。1827年(文政10)イギリス軍艦ブロッサム号が来島してイギリス領を宣した。1830年(天保1)アメリカ人サヴォリーがハワイ土人をつれてはじめて移住した。さらに1853年(嘉永6)とその翌年にはペリーが寄港し,貯炭所の買得やサヴォリーが首長任命を行ったため,英米間の領有権争いとなった。一方,幕府は1862年(文久1)12月,外国奉行水野忠徳以下約93名を派遣し,また八丈島の島民を移して3年間管理機関を置いたが,永久的措置をとらず,開拓は中絶した。明治維新後,小笠原諸島の帰属が問題になったが,1875年(明治8),英米はその主張を放棄し,日本が領有を宣言し,1880年東京府の所管とした。1886年には小笠原島庁が父島に置かれ,1926年(大正15)小笠原支庁に改称された。1939年(昭和14)父島西町と洲崎飛行場に海軍航空隊が設けられ,かつ戦争中に陸軍第31軍父島守備隊が配せられたが敵の上陸は行われなかった。1944年戦況悪化のため一般人のほとんどすべて(6,866人)を本土に強制疎開した。太平洋戦争までの最も重要な産業は水産業で,父島の二見港には内地からの漁船が集まり,また魚のかんづめ加工が行われた。講和条約では,信託統治制度への移行を含んで,アメリカの施政権が認められた。1946年10月欧米系島民のみに9名が帰島を許され,漁業と米軍労働に従事した。1967年11月佐藤−ジョンソン会談で,小笠原返還について合意,1968年4月5日,小笠原返還協定調印,同6月26日返還,小笠原村設置,小笠原総合事務所・東京都小笠原支庁などの行政機関が設置され,以後開発と復興が進められており,1984年4月1日現在,帰島住民は1,753名に及んでいる。