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●御蔭参り おかげまいり

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 江戸時代,伊勢神宮への集団参宮の一形態である。御蔭参りの起源は元来おかげとかおかぎという神木を神社から授かり田のなかに立て豊作を祈った一種の農耕儀礼に始まるといわれるが,近世には伊勢神宮に限られるようになった。集団参宮という行為は伊勢信仰の浸透に伴い,14世紀末ごろから畿内を中心に表出,御蔭参りと呼ばれるようになったのは江戸時代以降である。近世最初の御蔭参りと伝えられるのは,1650年(慶安3)で江戸の商人達が大神宮へ抜参(ぬけまいり)をはやらせ,正月下旬ころより多くの人々が白衣姿となって群参し,その数は1日平均500〜600人にのぼり,3月中旬から五月初旬にかけては1日2,000人ほどになったという。抜参というのは主人や親の許可を得ることなくして,さらには旅行手形(往来手形)もなく家を出たものである。その後1705年(宝永2)に大規模の御蔭参りが京都から派生して,閏4月9日から5月29日までに東は江戸,西は安芸・阿波方面に及び,350万人以上が参宮をしており,しかもその多くが抜参でこの時をきっかけに御蔭参りを抜参というようになったのである。また御礼降り(降礼)などの現象もみられた。その後,享保期(1716〜36)に地方的に小規模の群参がみられたが大規模には至らなかった。1771年(明和8)に大規模な御蔭参りがおこったことから60年周期と考えられるようになった。この年4月初旬山城宇治からおこり,7月初旬までに東北を除く全国に拡大し,200万人以上が参加し,老若男女は群をなし口々にざれごとを唱えて熱狂状態で歩いた。次は1830年(天保1)で閏1日阿波から始まり,地域としては明和のときより縮小したものの参加人数ははるかに多く8月末までに約500万人に達した。御蔭参りは都市および近郊農村を中心におこり,参加者の主体は商工業の奉公人や農村労働者であったのである。それゆえに着の身着のまま,銭ももたず,明和のときから始まったという柄杓1本だけをもって道中するものが多く,道中途中の町々では治安を維持するために富豪たちが金品の施行を行い,宿泊などの世話もした。一度に群参するという形態をとったために物資の消費が増大し,物価が急騰して経済的にも少なからぬ影響があったと思える。明和の記録によれば参宮人を150万人と見積もって,路用銀を3万3500貫としているが,これは当時の相場で米38万5000石余になるという。なお,天保のころから河内摂津・山城などではおかげ踊りが行われるようになり,これが百姓一揆に変じて村役人にせまって年貢減免を要求したこともあるという。御蔭参りには熱狂的な踊りを伴うが,幕末ごろになると伊勢神宮から脱皮して各地で踊りだけが行われるようになったのが1867年のええじやないかである。

〔参考文献〕西垣晴次『お伊勢まいり』1983,岩波書店

新城常三『新稿社寺参詣の社会経済史的研究』1982,塙書房