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●大山崎油座 おおやまざきあぶらざ

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 山城国乙訓郡大山崎に住む油商人が離宮八幡宮に属す一方,本社の石清水八幡宮に内殿燈油の貢進,4月3日の日使大神遷座祭(859年の宇佐八幡神勧請の際,一旦大山崎津に上陸,のちに男山に遷座した故事に因む神事)の頭役などを勤仕して神人の身分を獲得し,大山崎総荘を結成,承久の乱(1221)後の政情不安から古来の特権を守ろうとしたのがその起源。1222年(貞応1)には美濃・尾張方面までの行商権と不破の関の自由通交権を獲得して商圏を東国に拡大したほか,油以外に穀物や衣料などの諸雑貨物を扱う特権を付与された。平安末期の『信貴山縁起絵巻』飛倉の巻で山崎長者の家に油締木が描かれており,1200年(正治2)に藤原定家が山崎の油売りの小屋に宿泊していて(明月記),古くから京の外港として栄えた山崎の地には,各種の商人と並んで製油業を営み油を売る商人がいたことを示すが、彼らが特権的な座を結んだのはこのときからである。八幡神を氏神とする幕府の厚い保護を受け,原料の荏胡麻を優先的に買い付ける特権を摂津・播磨・備前・阿波・伊予・肥後・近江・美濃・尾張・伊勢の諸国に,独占的販売権を興福寺支配下の大和を除く畿内4カ国や丹波・丹後・若狭・近江・美濃・尾張・備中・備後・紀伊・伊予などの諸国に広げていった。実際は,その地の油商人に営業権を認める代わりに,500貫文という重い負担であった日使頭祭頭役を代替させ「大山崎方近江国神人」などと呼び新座の神人として従属させ,自らは「本所神人」と称していた。戦国大名が領国の商人を保護するようになると,こうした特権的支配が退けられてしだいに衰退,織田信長の楽座政策八幡宮との関係も破棄され,豊臣政権下で一時復活したが,1583年(天正11)の前田玄以の油座確認を最後にその跡を絶ち,子孫は江戸・大坂に移住していった。

〔参考文献〕脇田晴子『日本中世商業発達史の研究』1969,御茶の水書房

佐々木銀弥『日本商人の源流』1981,教育社

豊田武「大山崎神人の活動」『歴史地理』62−5