●大村純忠 おおむらすみただ
アジア 日本 AD1533 室町時代
1533〜87(天文2〜天正15)戦国時代の武将。キリシタン大名。有馬晴信の二男。母は大村純伊の娘。肥前国有馬に生まれ,幼名は勝童丸。丹後守,民部大輔。剃髪して理仙と称し,受洗名はバルトロメオ。文書には波留登路銘と署名。1538年(天文7)大村純前の養嗣子となり,1550年,家督をつぐ。1562年には横瀬浦を開港。1563年受洗。65年福田浦,ついで90年(文亀1)長崎を開港している。キリシタンを保護して,南蛮貿易にも積極的に従事している。そののち1580年(天正8),長崎を耶蘇会領として寄進し,1582年には巡察使ヴァリニャーニのすすめもあって,ローマ法王庁に対して,遣欧使節を派遣している。キリシタン大名として,有馬晴信,大友宗麟とともに有名である。1585年には豊臣秀吉に属し,所領を安堵され,1587年5月18日死去。55歳であった。彼は,すでに若いころより長崎に外国船を誘致しているほどの開明性をもち,没後,耶蘇会は聖堂内に葬り,のち改葬している。
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