●大原幽学 おおはらゆうがく
アジア 日本 AD1779 江戸時代
1779〜1858(寛政9〜安政5)農民指導者・農師。諱は実生,字は才次郎,通称左門。尾張名古屋の生まれ。尾張藩家老大道寺玄蕃の次男というが不詳,自らは尾張藩浪人と称した。父の勘当を受けて京へ出る。田島主膳より儒教・和歌・易学を学び,高野山で仏学を修める。1820年(文政3)下山して畿内・中国・四国を遍歴。1830年(天保1)中山道をへて信濃へ出,上田小諸藩で性学を説く。次いで江戸へ出,房総に遊び,下総各地で農民教化に従事。1835年(天保6)より香取郡長部村の名主に招かれて,農村改革に尽力する。平田篤胤一門と対抗するところがあったが,先祖株組合(信用組合の先駆)や土地の交換分合,自作農村落の建設などに努力する。また八石教会を創設して性学の普及をはかり,理想村建設につとめた。幕府は1852年(嘉永5),この動きに嫌疑をかけて江戸へ召し出し取り調べを行い,八州廻りを動員して弾圧し,先祖株組合の解散を命じた。その後,身元引き受け人も出たが閉居を命ぜられ,長部村へ帰されたのち自刃する。
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