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●大友義鎮 おおともよししげ

アジア 日本 AD1530 室町時代

 1530〜87(享禄3〜天正15)戦国時代の大名。キリシタン大名,大友義鑑(よしあき)の長男。母は大内義隆の姉。豊後府内(大分)に生まれ,幼名は塩法師丸。長じて義鎮。号を府蘭・宗滴・宗麟。受洗名はフランシスコ。一時は豊後臼杵城主として,豊・筑・肥6カ国の守護として支配したことがあるが,1562年(永禄5)剃髪して休庵宗麟と号す。彼は襲封後,政道に関する19カ条の条目を制定するほどの新しい人であった。毛利と龍造寺との戦いに明けくれ,1563年臼杵丹生島に築城移住。1568年には毛利内応の立花鑑載を滅ぼす。その後も毛利と戦い,将軍の仲介で和議が成立したあと,貿易に努力し,キリスト教を保護し,キリシタン大名となる。

 1578年(天正6)受洗。学校その他の樹立につとめたが,同年の島津との闘いで敗北した結果,麾下相ついで離反。ついに自立困難におちいり,家督もゆずり,1586年には秀吉に援助を求めたが,翌年寂しく世を去っている。戒名は瑞峯院休庵。