●大津宮 おおつのみや
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667年(天智6),天智天皇がいろいろな人々の反対を押切って大和飛鳥から移した都。その位置は滋賀県大津市内の旧滋賀村一帯といわれるが,よくわからない。遷都の理由は飛鳥古京の勢力からのがれ,人心一新をめざしたことと,対新羅防衛策なども考えてのこと,唐風の都城であり,内裏・仏殿・宮門・西殿・西小殿・大蔵・浜台・大炊・漏刻台などがあった。天智天皇の死後は,壬申の乱によって荒廃した都となったともいう。大津宮は,681年11月宮殿が焼け,まもなく新宮ができたが,壬申の乱に近江朝側は敗北したため,廃絶したと考えられる。柿本人麻呂の歌には,ささなみの大津宮は草地と化していたという。大津の名称は平安遷都のときの名称,滋賀郡古津荘にある。正倉院文書では近江国保良宮(石山寺北方)にあったと考えられる。「聖徳太子伝略」によって粟津と信ずる人もいる。「近江興地志略」は大津市錦織所御所内に求め,遺物が証明するとの説もある。まだどれも決定的な証明力をもたない。