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●大槻玄沢 おおつきげんたく

アジア 日本 AD1757 江戸時代

 1757〜1827(宝暦7〜文政10)江戸後期の蘭学者・蘭方医。名は茂質(しげかた),字は子煥(しかん),号は磐水,玄沢は通称。一関藩医大槻玄梁の子として陸奥国磐井郡(岩手県一関市)に生まれる。初め一関藩医建部清庵に医学を学び,1778年江戸に出て,杉田玄白・前野良沢に蘭学を学ぶ。1785年(天明5)長崎に遊学,阿蘭陀通詞本木良永にオランダ語を学び,翌年江戸に帰って仙台侯の侍医となる。かたわら,家塾芝蘭堂を開いて蘭学教育に従事,門下の四天王橋本宗吉稲村三伯宇田川玄真・山村才助をはじめ,各分野・各地に活躍する人材を育成した。1795年1月1日(寛政6年閏11月11日),京橋水谷町の芝蘭堂で新元会(おらんだ正月)を開催し,江戸蘭学界の中心的存在となった。1811年(文化8)幕府の天文方に蛮書和解御用の局が新設されると,阿蘭陀通詞馬場佐十郎を助けて訳員となり,ショメール百科事典の翻訳に従事した。訳著は『蘭学階梯』などすこぶる多い。