●大津皇子 おおつのおうじ
アジア 日本 AD663
663〜686(天智2〜朱鳥1)天武天皇の第3皇子で母は天智天皇皇女の大田皇女(持統天皇の同母姉)。容貌たくましく文武の才に秀で,天智天皇にも深く愛された。『懐風藻』によると豪放で規則に拘泥せず,有用な人物には礼を厚くして接したので,多くの人の心服を得たという。天武朝では皇太子の草壁皇子に次ぐ地位にあり,683年には皇太子の存在にもかかわらず朝政に関与している。686年天皇が崩じると謀反の疑いで捕えられ自殺させられたが,これは皇子の声望により,草壁皇太子の地位に不安を感じたウノ※注1※皇后(持統天皇)の挑発による疑いが濃い。皇子の屍はのち葛城の二上山に移葬された。皇子はきわめて詩文の才に優れ,『懐風藻』に有名な「五言臨終一絶」を含む4篇の詩を収めるほか,『万葉集』にも死に臨んで詠んだ歌など4首の歌を残す。また皇子が伊勢に赴き,同母姉大伯(おおく)皇女と会って帰るおりの皇女の歌,および皇子の死を嘆いた皇女の歌も著名。
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