●大津絵 おおつえ
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江戸時代,東海道筋近江大津領内追分一帯で売られていた民衆絵をいう。追分絵・大谷絵などともいわれた。丹・黄・緑といった単純な彩色,大担な描線を特色とする。1602年(慶長7),東本願寺建立に際し移住を命ぜられた針細工人・仏絵師らが,東海道往還の人々の増加につれて旅人相手の土産物として売り出したのが始まりで,寛文〜天和期といわれている。当初仏画が中心であったが,やがて鬼の念仏・提灯釣鐘・瓢箪鯰などの諷刺画を描くようになり,さらに戯画・滑稽画も加えられていった。江戸後期になると,幕府の封建的思想教育のてこ入れもあって,大津絵は教訓絵としての性格が強くなった。幕末ともなれば,今まで百種以上あった画題も極端に減少し,十種程となり,呪禁護符絵として売られた。明治に入ると,東海道線や琵琶湖疎水の完成といった交通手段の発達により,徒歩旅行者の減少をきたし,大津絵商売も終焉を迎えた。
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