●大田南畝 おおたなんぽ
アジア 日本 AD1749 江戸時代
1749〜1823(寛延2〜文政6)江戸後期の文人。名は覃,字は子耜,通称は直次郎,晩年七左衛門,号は南畝,狂号は四方赤良・蜀山人などほかに筆名多数。内山賀邸・松崎観海に学び,17歳で御徒として幕府に出仕,翌年『明詩擢材』を出版,詠詩の生活に入る。1772〜80年(安永年間)は詩を主とし,狂歌・戯作を従とし1781〜88年(天明年間)は狂歌を主とし黄表紙・狂詩にも筆を染めた。39歳のとき狂歌・戯作の筆を折り,1794年(寛政9)湯島聖堂の学問吟味に首席で及第,翌年支配勘定に昇進し,大坂銅座,長崎奉行所などに勤務,以後勘定所の能吏として活躍。このあいだ,紀行文・日記・随筆(『調布目記』『一話一言』など)多数の著述を残し,各方面の文人・芸能人と交わり,江戸民衆文化のリーダー格として重きをなした。墓所は東京白山本念寺。戒名は杏花院心逸日休。〔参考文献〕浜田義一郎『大田南畝』1963,吉川弘文館
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