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●大坂の陣 おおさかのじん

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 1614年(慶長19)の冬と1615年(慶長20)夏の2度にわたって徳川氏が大坂城の豊臣氏を攻め滅亡させた戦い。関ガ原の戦い(1600)で勝った徳川家康は江戸に幕府を開き,天下の実権を握ったが,大坂の豊臣秀頼は成人して,大坂城の要害に拠り,新しい権威の地位につく可能性があった。1614年家康は方広寺鐘名問題牢人召しかかえなどを口実に挙兵,20万の大軍を率いて大坂城を囲んだ。しかし豊臣方はよく防戦,外堀を埋めることを条件に一時和睦した(冬の陣)。しかし,家康は約を破って巧みに内堀・三の丸をも埋め,城の防衛力を低下させた。そして秀頼に大和か伊勢への転封と,召しかかえた牢人の追放を強要,秀頼が拒否したために再び挙兵した(夏の陣)。豊臣方は奮戦したが,1615年5月8日に落城。秀頼・淀君母子は自殺し,豊臣氏は滅亡した。これにより徳川氏は完全に諸大名を統率し,その地位をゆるぎないものにした。