●大阪会議 おおさかかいぎ
アジア 日本 AD1875 明治時代
維新の元勲たちが1875年(明治8)に大阪に集って立憲政体の樹立を約した会議。征韓論の紛議や征台の役に反対して多くの参議が辞職,大久保利通を中心とする政府は孤立無援の状態になった。そこで井上馨の周旋により,同年1月に大久保利通・木戸孝允・板垣退助・伊藤博文らが大阪に会し,2月にいたって政治改革についての合意をみた。その内容は元老院・大審院・地方官会議を設け,内閣と各省を分離し,元勲は内閣にあって輔弼に任じ,第二流の人物によって行政の責にあたらせるというものであった。この会議の結果,板垣と木戸が参議に復帰し,4月14日に政体改革に関する大詔が発せられ,漸次立憲政体へ移行することが国是となった。しかし板垣は内閣と省卿の分離や元老院の改革問題などで不満をいだき,同年10月参議を辞職,木戸も翌1876年3月に辞職し,大阪会議によって成立した元勲間の妥協もわずか1年足らずで破れ,大久保が再び内閣の実権を掌握した。〔参考文献〕板垣退助監修『自由党史』1910,岩波文庫版『自由党史』上,1957,岩波書店