●大臣 おおおみ
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大和盆地およびその周辺部の豪族が,出身地の地名を冠して大和政権を支えていた。これが臣の姓系の氏族であったが,その臣系氏族の代表として,執政官として政局の中枢に位置したのが,大臣である。『日本書紀』などでは,成務朝に武内宿禰(たけのうちのすくね)が大臣に任ぜられたとするのを初見とするが,その信憑性には問題があろう。だが,5世紀後半から6世紀初頭の時期,つまり雄略朝前後から継体朝のころにかけて大臣の存在が明確化してくる。安康朝の葛城臣円(かつらぎのおみつぶら)・雄略・清寧・仁賢の諸朝に仕えた平群臣真鳥(ヘぐりのおみまとり),継体朝の許勢臣男人(こせのおみおひと)らが,それである。宣化朝以後には蘇我氏が世襲的に大臣としての地位を占め,権勢をほしいままにするが,これらはすべて大和盆地の地名を冠する名族であり,しかもすべて武内宿禰の子孫と称する氏族であった。これらの家からは天皇家に后妃を出すなど,大化前代に大きな政治力を有した。しかし大化の改新で,大臣は廃され,新しい左右大臣制に変わった。〔参考文献〕竹内理三『律令制と貴族政権』1957,御茶の水書房
岸俊男『日本古代政治史研究』1966,塙書房