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●大江匡房 おおえのまさふさ

アジア 日本 AD1041 平安時代

 1041〜1111 平安後期の代表的な文人官吏。父は大学頭成衡,母は橘孝親の娘。匡房の自伝『暮年記』などによれば,曽祖父匡衡よりも早く4歳で初めて書を読み,11歳で詩を賦して世に“神童”といわれ,文章得業生となって3年目に18歳で方略試に及第した。その後,東宮学士・蔵人・中務大輔・右小弁・美作守・左大弁・勘解中長宮・式部大輔などを経て,寛治2年(1088)48歳で参議に昇り,54歳で権中納言となった。57歳で大宰権帥を兼ねて筑紫に赴任し,その功により正二位に叙されたが,71歳で大蔵卿に任ぜられてまもなく薨じた。その間,とくに後三条天皇と白河上皇の信任をえて重く用いられ,また関白後二条師通にも信頼されて親交を結んだ。諸道に精通した博学者で,著作は『江家次第』をはじめ『江記』・『江都督納言願文集』・『本朝神仙伝』・『続本朝往生伝』・『扶桑明月集』および『朝野群載』所収「暮年記」・「詩境記」・「対島貢銀記」・「遊女記」・「傀儡子記」など頗る多い。また和歌にもすぐれ,家集『江帥集』があり,勅撰集に100首近く入っている。なお,『江談抄』は匡房の物語を藤原実兼が筆録したもので,その中に〈官爵と云ひ福禄と云ひ皆文道の徳を以て暦経する所なり〉と述べている。

〔参考文献〕川口久雄『大江匡房』人物叢書148,1968,吉川弘文館

国書選文研究会編「大江匡房関係史料特集」国書逸文研究12,1983