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●大岡忠相 おおおかただすけ

アジア 日本 AD1677 江戸時代

 1677〜1751 江戸時代の江戸町奉行として著名。1677年(延宝5年),大岡美濃守忠高の4男として江戸に生まれ,10歳のとき,大岡忠右エ門忠真の養子となり,1700年(元禄13,24歳)養父の病死により家督を相続し,600石寄合旗本無役となる。1712年(正徳2),伊勢国山田奉行に任じられ山田に赴任する。山田奉行在任中、紀州領と松阪の住民との訴訟を裁判し,後年江戸町奉行に栄転の素地をつくった。1717年(享保2),江戸町奉行となり,1736年(元文1),寺社奉行となり,1748年(寛延1)には合計1万石を拝領し藩列に属した。1751年(宝暦1)12月16日に薨ずる。享年75歳,法名松運院殿興誉仁山崇義大居士。町奉行としての活躍は著名であり,ほとんどは後年の創作といわれる「大岡政談」によって,その名声は高い。他方,1722年(享保7)に地方御用掛を兼任し,田中丘隅・蓑正高ら地方功者をその輩下として,関東地方の直轄地の一部を管理した。とくに新田開発・治水土木に功績があった。この役職は忠相という個人に付随したもので寺社奉行に昇進したのちも兼務を続けた。

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