●大江音人 おおえのおとんど
アジア 日本 AD811 平安時代
811〜877(弘仁2〜元慶1)平安前期の公卿・学儒。平城天皇の曽孫,正六位上備中権介大江本主の長子。母は中臣氏。菅原清公について文章道を学び,天長のころに文章生,837年(承和4)文章得業生となる。官職は,850年(嘉祥3)惟仁親王(清和天皇)立太子とともに東宮学士となり,右・左中弁,右大弁を歴任して,864年(貞観6)参議に列せられ,以後勘解由長官,検非違使別当を兼ね,薨じたときは参議従三位行左衛門督であった。音人は管原是善とともに『貞観格式』を撰上し,上表文と式序を書き,また『文徳実録』の編纂にも関与した。ほかに勅命によって「群籍要覧」「弘帝範」があったが,「江音人集」とともに伝存していない。『日本紀略』によれば〈音人,内性沈正,外は質訥に似たり。人となり,広眉大目,儀容魁偉にして音声美大,甚だ風度有り〉とみえ,また『扶桑略記』には,深く仏教を信じ,臨終の際には西方を向いて合掌して死んだ,とある。