●大内義弘 おおうちよしひろ
アジア 日本 AD1356 南北朝時代
1356〜99(延文1〜応永6)室町初期の守護大名。弘世の嫡子。幼名孫太郎,周防介・大内介を称し,のち左京権大夫・左京大夫に任ぜられ,従四位上に叙せられた。1371年(応安4),九州探題今川貞世(了俊)に従い,九州北部の各地で数年にわたって南朝軍と戦った。その功により豊前・筑前の守護に任ぜられた。1380年(康暦2)には父の遺領を継承して,周防・長門・石見の守護を兼任。将軍足利義満の信任が厚く,また明徳の乱に山名氏清を平定して,その遺領のうち和泉・紀伊の守護職も与えられた。さらに,南北朝合一を周旋した功により,翌1393年(明徳4)に準一族の待遇を受けた。やがて大内氏の強盛を警戒する動きが幕府内におこったため,この動きに対抗して1399年に和泉堺に挙兵したが敗れて自殺(応永の乱)。44歳。義弘は歌人としても優れた才能をもっており,『新後拾遺和歌集』の作者に列せられた。