●大内義隆 おおうちよしたか
アジア 日本 AD1507 室町時代
1507〜51(永正4〜天文20)中国地方の戦国大名。義興の嫡男。幼名亀童丸,周防介・大内介を称し,左京大夫に任ぜられた。大宰大弐などの要職を歴任し,従二位にまで昇った。将軍以外の武将としては異例の昇進であった。1528年(享禄1)に家督して,周防・長門・豊前・筑前・安芸・石見の守護を兼ね,さらに備後を加えて大内氏の最盛期を迎えた。九州や四国の各地で大友・少弐・尼子氏とたびたび戦う。1542年(天文11)出雲に遠征して尼子晴久と戦ったが,翌年富田城攻撃に失敗して山口に帰還。以後直接の出陣はなくなり,山口の筑山館で,京都から来住した文人墨客と交わり,学問や遊芸に耽った。また,ザヴィエルを引見してキリストの布教を許したことはよく知られている。1551年に家臣の陶晴賢に攻められて長門大寧寺に自殺。45歳。その跡を甥の大友晴英が嗣いで大内義長を称したが,1557年(弘治3)に毛利元就に攻められ長門長府に滅んだ。