●大井憲太郎 おおいけんたろう
アジア 日本 AD1843 江戸時代
1843〜1922(天保14〜大正11)明治時代の思想家・政治家。幼名高並(たかなみ)彦六,21歳のとき大井卜新(ぼくしん)と兄弟の誼を結び,姓を大井と改める。幼少のころ漢学を学び,のち長崎で蘭学・英学を学び,さらに江戸に出て幕府の開成所で仏学を修める。1874年(明治7)板垣退助らの民撰議院設立建白で賛否の論が沸騰するや,馬城台二郎の名で加藤弘之と論争,国会開設運動をおこす。1881年(明治14)代言人(弁護士)となり,自由党が結党されるとすぐに入党し,翌1882年自由党常議員となり,党内左派を形成。ついで朝鮮独立党援助のため画策,同志を募り,資金を集め,爆薬を製造したが発覚し,1885年大阪で逮捕される(大阪事件)。1888年大審院の最終判決で重懲役9年に処せられたが,翌年憲法発布により大赦で出獄した。1892年東洋自由党を結成し,党内に普通選挙同盟会・小作条例調査会・日本労働協会を設ける。著書に『時事要論』『自由略論』などがある。〔参考文献〕平野義太郎『馬城大井憲太郎』1938(復刻版1968,風媒社)
平野義太郎『大井憲太郎』1965,吉川弘文館