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●欧陽脩 おうようしゅう

アジア 中華人民共和国 AD1007 北宋

 1007〜72(景徳4〜煕寧5)北宋の政治家・学者。吉州廬陵(江西省吉安県)の人。字は永叔。号は醉翁,または六一居士。文忠と謚(おくりな)される。

【政治上の事蹟】池仲淹などとともに,仁宗時代の“慶暦の改革”派の一人。仲淹が,仁宗の皇后郭氏の廃立問題で,宰相の呂夷簡と対立して左遷されると,脩も仲掩の“朋党”であるとされてこれに連座した。彼はその際「朋党論」を著し,利のために結束する小人と対比して,義のために結束する君子の党の正当性を主張し,数百年後に及ぶまで,中国の士大夫の思想に大きな影響を与えた。のち中央に復帰し,さらに河北・河東など辺境防衛の第一線で活躍した。その後権力者と対立し再び11年間地方官をつとめたが,仁宗朝の末期には副宰相(参知事)にまで昇った。蘇洵(軾の父)や王安石を推薦したのも,このころである。彼は後継者英宗の即位に功績があったが,英宗の父の呼称・処遇問題(濮議)で英宗の側に立ち,勢力を失った。神宗が即位し王安石が新法を開始すると,青苗法などをめぐって,それに反対する立場に立ち,引退に追い込まれて死んだ。

【学問上の事蹟】宋の代表的な文章家であり,とくに韓愈の影響を受けて,“古文復興”を強く主張した。その実践の一つとしては,『新五代史』『新唐書』の編纂があるが,とりわけ後者は,後世の正史の編さんに大きな影響を及ぼした。

〔参考文献〕「廬陵欧陽文忠公年譜』『欧陽文忠公集』に附

『欧陽文忠公集』附録五巻,「欧陽脩について」宋史319,1950

『羽田博士頌寿記念東洋史論叢』

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