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●淡海三船 おうみのみふね

アジア 日本 AD722 奈良時代

 722〜785(養老6〜延歴4)奈良時代の文人。曽祖父は大友皇子,祖父は葛野王(かどののおおきみ),父は池辺王。756年(天平勝宝8)に内堅となる。以後,尾張介,山陰道巡察使,参河守,文部少輔,東山道巡察使,大宰少弐,刑部大輔,大学頭兼文章博士,刑部卿等を歴任した。漢詩文にすぐれ,石上宅嗣と並んで“文人之首”と称され,その伝記には〈性識聡敏にして群書を渉覧し,もっとも筆札を好んだ〉とある。『経国集』には「於内道場観虚空蔵菩薩会」「扈従聖徳宮寺」「聴維摩経」「和藤六郎出家之作」「贈南山智山人」の五首が載る。菅野真道・石川名足らとともに『続日本紀』全40巻を編さんしたといわれている。鑑真の弟子思託の要請により鑑真の伝記『唐大和上東征伝』を著した。また,『懐風藻』の撰者とする説や,神武〜光仁の歴代天皇の漢風諡号(かんふうしごう)は三船の奉勅撰によって定められたという説などもあるが,いずれも確証はない。