●王敦の乱 おうとんのらん
アジア 中華人民共和国 AD322
中国,東晋草創期の元帝・明帝代,王導の従兄王敦が,側近の劉隗を討つとの名目で,322年(永昌1)正月武昌で挙兵して首都建康を制圧し,以後324年(太寧2)7月に死ぬ直前まで東晋政府を牛耳った事件である。310年ごろ南下して司馬睿(のちの元帝)を推戴した王敦は,南人の将軍甘卓周訪・陶侃らを駆使して,江州の華軼らを滅ぼし,揚子江中流域の経営を進めた。317年(建武1)東晋政権が成立すると,王敦は元帝の権威確立をめざす建康政府の劉隗・才協らと対立するようになった。一方司馬睿の江南制覇に協力しながら不遇であった江南豪族の沈充・銭鳳もこの王敦のもとでの栄達を期待して王敦にくみしていた。322年王敦が挙兵して建康に迫ると政府側からも南人の周札の内応があり,建康はあえなく王敦に制圧された。明帝が立つと王敦は自らは揚州物となり姑孰に移鎮して自己の一門諸将を配して体制を固めた。王敦はついで政権簒奪の野望を抱き,病中をおして再び挙兵したが,まもなく病死,残党は北来流民軍を率いる劉遐・蘇峻などの軍団によって粉砕された。