●王党派 おうとうは
ヨーロッパ 英国 AD
イギリスの市民革命に際して国王とイギリス国教会を支持した党派。1641年11月における“大抗議文”の議会通過は内戦の開始を不可避とし,同時に国教徒および穏健派の多数をこの党派に結成した。1642年の初めごろからは議会派の円頂党に対して騎士党と呼ばれるようになった(ただしこれは本来蔑称)。いかなる社会層からなるかはむずかしい問題であるが,貴族を中心とする封建的土地所有者と特権商人はこの派に属し,ジェントリ層は両派に分裂したとみるべきである。むろんカトリック系ジェントリは国王側に味方し,地理上の分布からいえば北部と西部で有力であった。内乱の進行とともに王党派の所領は差し押さえられて,示談金を支払うか,没収・売却されるかのいずれかにいたり,また1655年3月,軍政への不満分子が反乱をおこしたのちに定められた所得税は,王党派の負担となった。王政復古後は没収・売却された所領の回復が実現し,騎士議会の登場とともに権力を再び掌握,“クラレンドン法典”の成立は彼らの復讐を意味するものであったといえる。