●応天府 おうてんふ
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[1]現在の河南省商邸県の宋代における地名。宋の太祖趙匡胤は,かつて節度使として治めていた,唐代では宋州(宋の国名はここから出たといわれる),五代では帰徳軍と呼ばれていたこの地を応天府と改め,五京のひとつとして南京を置いた。首都開封を金に攻略されたのち,高宗はこの地で宋を再興したが,金の侵攻がつづいたため南宋はさらに南下して,応天府はついに首都とはならなかった。[2]現在の江蘇省南京市の明代における地名。元代では集慶路と呼ばれていたこの地は,長江下流沿岸にひらけた江南経済の中心地であった。1356年(至正16),この地を攻略した明の太祖朱元璋は,応天府と改称して拠点とした。1368年(洪武1),明の建国に伴って開封に北京,この地に南京が置かれ,さらに1378年(洪武11)には京師と定められた。永楽帝が北平を順天府と改めて北京とするに及んで再び南京となり,1441年(正統6)になって正式に陪都と定められた。