●応天門の変 おうてんもんのへん
アジア 日本 AD866 平安時代
貞観8年(866)閏3月10日夜おきた応天門炎上をめぐる疑獄事件。応天門は平安宮朝堂院の正門で,大伴氏が代々守衛してきた〈大伴門〉に由来するという。この重要な正門および左右前方の両楼が灰燼に帰してから2カ月後,右大臣藤原良相と大納言伴善男は,これを左大臣源信による放火と疑い辞職を迫った。しかし同年8月,下級官人大宅鷹取が逆に放火犯人は善男父子だと告発し,捕縛訊問された善男の従者の自供により〈伴宿祢(善男)みずからは為さざるも,息子左衛門佐中庸……父の教命を受けて為す所〉と断罪された。その結果,伴氏5人は死一等を減じ遠流に処され,紀夏井ら8人も連坐配流の刑を受け,善男の莫大な財産もすべて没収された。この事件は,応天門焼失を政治的に利用して伴善男が源信の失脚を謀ったともみられるが,むしろ時の太政大臣藤原良房(この審問中に摂政就任)が天皇の信任厚い能吏善男とその関係者を中央政界から追い落とす口実に逆用したともみられている。国宝『伴大納言絵詞』はこの事変を絵と詞書で物語的に描いた作品である。〔参考文献〕益田勝美「伴大納言絵詞の詞章」日本絵巻物全集IV『伴大納言絵詞』解説,1961,角川書店
佐伯有清『伴善男』人物叢書156,1970,吉川弘文館