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●王則の乱 おうそくのらん

アジア 中華人民共和国 AD1047 北宋

 中国の北宋仁宗の1047年(慶暦7),河北でおこった弥勒教徒の反乱。

【反乱の経過】当時河北の貝州(河北省清河県)・冀州一帯では,弥勒教が盛んであった。貝州駐屯軍の下士官王則は,背に“福”字の刺青があったために,教徒から神聖な存在とみなされ,首魁にまつりあげられた。州の胥吏二人が謀主となり,翌年正月を期して反乱が準備されたが,秘密が漏洩したため同年末に王則一派は決起し,副知事らを殺し貝州城を占拠した。王則は東平郡王と名乗り,年号を得政,国号を安陽と改めた。政府は文彦博明鎬らを派遣してこれを鎮圧し,乱自体は,ほぼ60目で終息した。

【反乱の影響】弥勒教は,民衆のみならず一部の士人層にも教勢をひろげており,反乱以前から取締まりの対象であったが,そのうち李教というものが反乱に加担したことを名目に,彼の縁戚など多教の高級官僚が処罰された。

〔参考文献〕徐松『宋会要輯考・兵10』,宋史292,宋朝事実類苑20

重松俊章『唐宋時代の弥勒教匪』史淵第3輯,1931,九州大学史学研究室