●王世充 おうせいじゅう
アジア 中華人民共和国 AD
?〜621 中国,隋末唐初の群雄。字は行満,西域の胡人で本姓は支。疑い深い性格でいつわりが多かった。兵法を好み,隋の開皇年間(581〜600)に左翊衛となり,ついで軍功をたて儀同に拝され兵部員外郎となった。大業年間(605〜617)に江都丞・江都宮監となった。煬帝におもねり信任を得,山東・河南の乱を鎮定してさらに寵用された。618年(皇泰1)に煬帝が宇文化及らの兵に殺されると,元文都・皇甫無逸らとともに越王ヨウトウ※注1※を即位させ皇泰と改元,吏部尚書鄭国公となった。魏国公李密と戦って勝利をおさめたのち勢力を増し,尚書左僕射に就任した。翌年鄭王となった彼はヨウトウ※注1※を廃して帝位につき,開明と建元,国号を鄭とした。さらに一族功臣を諸王とし,ヨウトウ※注1※を毒殺した。しかし民心はしだいに離れ,厳刑峻制をもってのぞんだため逃亡者があいつぎ,飢死者が続出した。621年(武徳4)唐の李世民太宗と戦って敗れ,蜀へ流される途上,長安で殺された。
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