●王振 おうしん
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?〜1449(正統14)河北省蔚県の人。宦官官僚養成機関である内書堂出身であり,学識が高かった。宣徳年間(1425〜35)に,皇太子(後の英宗)の教育係となり,厳しくしつけたため,皇太子は師父と仰ぎ慕った。英宗が即位するや,先輩の宦官をさしおき,官僚からの文書を皇帝に取り次ぎ政務に関与する司礼監の長官となった。そして文書の改竄・湮滅など専横な行動をとった。1442年(正統7)に太后が没し,その前後に永楽帝以来の老臣である楊栄・楊士奇・楊博が死んだり隠退すると,ますます権勢を振い,自分に反対するものは,大臣であろうと弾圧した。1449年,オイラートのエセンが北辺に侵入(土木の変)すると,英宗に親征を勧め,自らも出陣した。しかし土木堡で大敗し,英宗は捕虜となり,王振は戦死した。また王振は仏教に帰依し,国費を投じて北京に豪壮な菩提寺を建立した。