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●応劭 おうしょう

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 生没年不明 中国,後漢の学者。汝南の南頓(現在の河南省項城県の北)の人で,字は仲遠といったが,別に仲援の説がある。父応奉は官僚であり,学者でもあった。霊帝のとき,彼は,孝廉に挙げられ,189年(中平6)には,太山郡の大守となった。191年(初平2),黄巾の賊が郡内に侵入すると,総力をあげて撃退し,賊軍に多大の損害を与えた。194年(興平1),もと太尉であった曹嵩曹徳父子が太山郡に来るとの知らせで,軍隊を率いて出迎えにいったところ,曹嵩の子曹操に恨みをもっていた徐州の長官陶謙が,太山郡到着前に,この二人を殺してしまった。応劭は,曹操に誅殺されるのではないかと恐れて,冀州の長官袁紹のもとへのがれた。のち献帝は,彼の人物を認めて袁紹の軍謀校尉に任命した。彼は,古典に通じており,裁判批判を『駮議』30篇にまとめたほか,記録も少なくなっていた漢の諸制度について,『漢官』5巻,『漢官儀』10巻を著した。さらに『風俗通』31巻,『漢書集解』115巻,『漢書集解音楽』24巻なども著した。