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●奥州道中 おうしゅうどうちゅう

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 奥州街道ともいい,通常,江戸千住から陸奥三厩にいたる街道をさすと考えられているが,道中奉行の管理のもと,江戸幕府が直接支配した五街道の一つとしてのそれは,厳密には,千住を起点とする日光道中の17宿目の宇都宮から分岐した先の白沢・氏家・喜連川・佐久山・大田原・鍋掛(下り専用)・越堀(上り専用)・芦野・白坂・白河の10宿をいい,以北は仙台−松前道として勘定奉行の管理に属した。運営は沿道各藩に任されており,幕府からみれば間接支配で,宿次も一定ではなかった。宇都宮・白河間の整備は1627年(寛永4)から1646年(正保3)にかけてとされるが,当初,奥羽北関東諸大名の参勤交代の際の利用が中心で,交通量は多くはなかった。しかし,近世後期,ロシアの南下により蝦夷地情勢が緊迫,1802年(享和2)箱館奉行が置かれるに及び,千住・三厩間における公用人馬の継立が頻繁化するなど,街道としての重要性の増大がうかがえる。