●王充 おうじゅう
アジア 中華人民共和国 AD27 後漢
27〜100? 中国,後漢の思想家。会稽上虞(浙江省上虞県)の人。字は仲任。若いころ,洛陽の太学に遊学し,班彪(班固の父)に師事。貧しかったので本屋で立ち読みしては記憶して百家の言に通じたという。帰郷してから,一時,郡の功曹となったが,上司と合わず辞職して子弟の教育と著述に専念し,25年かけて『論衡』85篇を著した。晩年,揚州刺史の属官となったがまもなくやめ,章帝に徴されたが病いで行かず,70数歳で死亡するまで著述をつづけ,『論衡』のほかに,『譏俗書』『政務書』『養性書』を著したらしいが現存しない。彼は反俗精神の持ち主で,世俗の虚妄を批判し,真理を探求しようとした。その立場から,当時流行していた天人相関説(天の意志によって自然と社会が左右されるとする)や讖緯(しんい)説を否定して,具体的事実にもとづく実証的な唯物論を展開した。ただ一方では時代の制約のためか,宿命論の持ち主でもあった。儒教的な体制のもとでは異端として軽視され,その正当な評価は近代になってなされたといってよい。
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