●奥州探題 おうしゅうたんだい
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室町幕府が奥州統治のために特設した広域行政職。建武新政権は,鎌倉後の奥州統治策として,ここに奥羽だけでなく,関東にも号令できるような大奥州国府を再興した。そこで,建武政権に反旗をひるがえした足利尊氏は,これに対抗するためにも,大がかりな武家統治機構を,この地に構想する必要があった。それが奥州探題制度として整備されていくことになる。初め斯波家長が陸奥守(北朝方)として対抗し,ついで石塔義房が奥州総大将となって,奥州武士の組織にあたり,奥州管領,最後奥州探題に落ちつく。そこにいたるまでには,石塔・畠山・吉良・期波4氏による激しい主導権争いがあったが,1354年(文和3),斯波家兼のもとに一探題制が確立する。斯波氏は大崎氏を称し,探題職を世襲したが,戦国時代は名目化し,伊達晴宗が代わって奥州探題になった。1590年(天正18)の太閤仕置で滅ぶ。〔参考文献〕小林清治・大石直正編『中世奥羽の世界』1978,東大出版会